前置きが長い話。理屈で語る結婚の定義。

〇〇=?

人の頭の中には、〇〇について、その人独自の定義があり、たくさんのその人自身の定義を集めたものが、その人の固有の価値観。
それに基づいて、人は世界を眺める。その人独自の世界観だ。

しかし、もとを辿れば、ひとつひとつの要素に分解できる。
世界観、価値観とひとことでまとめる時、わかりにくいが、それは、数多くの〇〇=?の集まりだ。

そして、それは普遍、不変のものではなく、〇〇=?の?の部分は、いかようにでも変化させられるし、新しい意味を生みだせる。


〇〇には、どんな単語も入る。

ピーマン=?
人によって違う。
好きな人もいれば、嫌いな人も、普通の人もいる。


仕事=社会貢献、生活の糧、するしかないこと、好き、嫌い、やらざるを得ないこと、生きがい、やりがい、やりがいを感じない、社会との関わり、上司がうっとおしい。

どのようにもイコールで結べる。

そして、?の部分は、全てが言葉になっているわけでもない。

体が無言の定義づけをしていることがある。反応や感情として。

何か体がネガティブな定義づけをしている〇〇に対しては、その言葉を聞いた時に、気持ちや心がざわついたり、体が反応したりするからわかる。
ポジティブな定義づけについても、同じようなことが起きる。


大事なことは、?の部分は変えられるということだ。

言葉の意味は変わる。
これは言語学的にもそうだ。

ある言葉が、もともとの語源と、現在使われている意味が違うことはざらにある。
辞書を引けばわかる。
意味の欄に、〜から転じて、というフレーズが書かれていることがある。
言葉は生き物だ。

新しい言葉も生まれ続ける。
言葉は普遍、不変ではない。


辞書の中にある言葉も、頭の中にある言葉も仕組みはそうは変わらない。
人間が生み出したものは全て、だれかの脳が生み出したものだ。
多くの人が存在を受け入れているものは、多くの人の脳の仕組みと違和感がないものだ。


何かを定義づける、意味をストックする、必要なことが起きた時、それを調べるという流れは、辞書を使う時だけに起きていることではなく、日々、頭の中でも起きている。


頭の中の辞書は、一般向けに共通する意味が書いてある普通の辞書より、ずっとパワフルだ。

その定義や意味で、行動や思考、感情を支配することができる。
その人を自由に解き放つことも、鎖でぐるぐる縛りつけることもできる。

なぜ、パワフルなのかといえば、それは外側から与えられた言葉ではなく、その人自身が、自らの体験の中で体得した定義だからだ。


そして、面白いのは、その体得した定義は、時に、その言葉本来の意味からかけ離れて曲解され、頭の中の辞書には記録されることがあることだ。
なおかつ、それが、唯一の意味だと信じ込むことがあることだ。


普通の言葉の話の時、ひとつの言葉が、ひとつだけの意味を持つことは、まず、ほとんどないに近い。

だけれども、頭の中や体では、それが可能なことがある。
いわゆる、決めつけ、思い込み、と呼ばれるものもそれにあたるかもしれない。


言葉は、数字の世界とは違う。
たったひとつの答えがないのが、言葉の世界だ。

しかし、たったひとつの答えがあるように作りこめるのも、また、言葉の世界だ。


頭の中の言葉、体が発する無言の言葉の定義は、その人の行動を支配する。


言葉の定義を変えるには、過去を遡ることからはじめる必要は必ずしもない。

「今」その言葉に、どういう意味を持たせたいのか、どう意味を持つのか、どういう意味を生み出したいのかを考えることで、自分を縛り付ける言葉の定義から、人はいくらでも自由になれる。

定義づけている、つまり、頭の中に〇〇=?の図式があり、自分の?の部分に不具合があると気づけば。

〇〇に着目すると、話は全く別になり、ことはややこしくなる。
?は、自分だ。
〇〇は、そうではない。



ただし、言葉は、他人と共有するものだ。
世界に自分ひとりなら言葉など不要だ。

平時の社会では、殺人=悪と定義づけてあるには、それなりに意味があるように。
まあ、それでも、こちらも平時でなければ、意味は変わる。
大義名分があれば、殺人=手法、だと現在の世界は認める。
世界中が認めるわけではないけれど。


言葉の意味は変えられる。
もし、何か望みがあって、〇〇=?の?がそれを邪魔しているのに、その?が変わらないとしたら、意味を変えたくないその人がいるだけだ。


さて、本題に入ります。
長かったわ、前置きが。

結婚したい。
でも、自由がなくなるでしょう。
でも、出会いがないでしょう。
でも、育った家庭がうまくいってなかったから、多分、うまく家庭が作れない。
でも、男の人って、女の人って〜でしょう。


でも以下が、?です。

頭の中で、結婚とイコールで結ばれていること。
それらは、なんらかを源としている定義かもしれませんが、言葉の意味は自由に変えられます。

語源に縛られる必要は、どこにもありません。
むしろ、本当は、結婚していない人は、自分にとっての結婚の定義は、まだ知らないのです。

その人にとっての結婚という言葉の本当の意味は、結婚した後にしか生み出すことができません。

周りにいる素晴らしい意味を持つ言葉として、結婚を語る人たちは、その意味を生み出せた人で、そうでない人は、語るように、結婚に意味を見出した、ただ、それだけのことです。

その人にとっての結婚の意味は、その人自身が、結婚した後に生み出すものです。
その人と、その人の結婚、を共有する人、または、人達と一緒に。

だから、いかに、それまでにネガティブなイメージを持っていても、心配することはないのです。

それは、その人の結婚の定義ではなく、他人の人生上に存在する定義だからです。
ネガティブな定義を持つ人の話は、結婚したい人には役に立ちません。
また、こうあるべきという定義も役には立ちません。

全て人生における言葉の定義は、その人独自の体験の中から、その人自身が生み出すもの。

定義を生み出せる場所まで、辿りつくまで、定義は棚上げが、おすすめかもしれません。

結婚について考えるのではなく、相手について考えることが、セッションの経験的には近道かと思います。


結婚相手=?

さて、?には何が入るでしょう?
?について、他に何かありますか?


ひとりで探すのが難しければ、お手伝いしますので、セッションへお越しください。
なんちゃって。笑