愛のちから
14年前に生まれたひとりの人間をみなが愛したことで、私の実家にはさまざまな変化が訪れた。
私と古い付き合いの人達は、私と実家の、特に母親との関係が30半ばまで壊滅状態にあったことは知っている。
年に一度か二度、数時間、顔を出せばいい方だった。
最近、私と知り合った人達は、私と母を仲のよい親子だと感じることが多いらしい。
実際、仲はいい。
奇跡的である。
そのきっかけを作ったのは、やはり、姪っ子の誕生だったような気がしている。
そして、小さな彼女が体験した、彼女以外は体験しなかった「苦労」。
彼女が、それが自分のせいだと誤解しないようにすること。
彼女の受けただろう心の傷、それが癒えること、大人になった時に残る心の傷にしないようにすること、温かいもので彼女を包み込むことを、打ち合わせたわけではないが、誰もが気にかけたことが大きかったのではないかと思う。
彼女の母親や私の母は、彼女に何かあると、姪っ子と話してくれと私に話をふる。
姪っ子と私は友達だからだ。
姪っ子は、そんな感じで、私を実家の中に役割とともに引き戻した。
彼女の母親の仕事が忙しいので、姪っ子は、赤ちゃんの時から半分以上は、私の母の手で育てられた。
姪っ子は私と性格は違うが、顔がよく似ている。
それもあったのだろう。
やがて、彼女の成長とともに、母がポツリポツリ、私の子供時代にあった出来事を語りだした。
それは、私の記憶にはない母親の目線から見たエピソードの数々で、そのどの話も、私を癒した。
そして、母が語るその話の数々は、私の生育過程の記憶を上書し続けた。
そこには、私が記憶していた母親と娘の姿とは違う、一癖ある口の達者な子供に、笑いをこらえて、スパイスの効いた返しで対抗するしなやかな母親の姿があった。
そこまでにすでに、私自身の傷は癒えていたが、実家の中に戻ること、母の話を聞くことという現実を受け入れた時、私の中では不思議なことが起きた。
まるで、何もなかったかのようになった。
たしかに、私達の間には、確執が存在したはずなのたが、それは、何もなかったように感じられたのだ。
今、思い出せと言われても少し難しい。
私には、癒した記憶はあるのだが、何を癒したのかが思い出せないのだ。
そして、母の語ることは事実で、私はその中にいたような気がするのだ。
父もまた思い出すことがあったらしく、それを母の口を通じて何度か聞いた。
それは主に、私と妹への謝罪と後悔だった。
父は姪っ子と非常に気が合うようで、彼らは彼女が小さな時からつるんでいる。
私たち姉妹には、父と遊んだ記憶はほとんどない。
ひとつかふたつはある。
父は、娘たちとも、もっとこうやって遊んでやればよかった、でもあの時代、僕が家族を選んでいたら彼女達に与えた教育は与えられなかっただろう、だから仕方ないんだけれどと、何度か口にしたらしい。
過去は幻とはよく言ったものだ、と、私は思った。
記憶とは、いかに適当か。
何を重要と判断しているかで、脳はいくらでも記憶を改ざんする、と、私は知ってはいたことを、ああ、これか、、、と体験した。
幸せな子供時代、それが本物だろうがなかろうが、今やそれはここにはない。
そして、もはや私は傷を抱えていない。
傷がある時、私が以前持っていた記憶は重要だったのだろう。
それは、傷の根拠だ。
しかし、今、それはもう必要ないのだろう。
姪っ子は、ここに何も関係していない。
彼女は、ただ生まれてきただけである。
そして、みなに愛されただけだ。
彼女が小学生になった後、年に一度くらい、私は姪っ子と2人で出かける。
おそらく、妹が、私に味あわせてくれようとしている時間があり、私はありがたくそれを享受している。
何かを愛することの威力が周囲にもたらす影響を、じかに体験した後、私は無力感と心地よい軽やかさの両方に襲われた。
愛ってすごいね、と思った。
そして、降参だ、と思った。
この癒しの力には敵わない。
アインシュタインが、この世で一番のエネルギーは愛だと書き残しているのを読んだことがある。
そこに、同意した。
天才物理学者がもう少し生きていたら、愛のエネルギーの数式を見つけ出したかもしれない。
でも、まだそれはこの世に存在せず、ただ、温かな感覚だけを私に教える。
数式があっても、私の頭は理解しないので、ま、あってもなくても、個人的には同じである。