一歩め

少し前に、さて進もう、とそういや書いたな、と外出先から40分ほど歩いて帰ってきた後に気がついた。

それを言語化しよう、と。


外出先は、資格講習の申し込みだった。
郵送受付でいけるのだが、昨日、電話してみたら、今日が受付締め切りということがわかり、それで直接行ったのだ。

帰ってきて、ふと、そうですか、私が次にやりたいことはそれか、と改めて認識した。
そういや、言語化を一昨日したな、と。

ごく自然に体が動き、当然だろう、という感じでしたけれど。
言語化と行動のずれは5分くらいだった。
ほとんど同時。

動き始めると、やりたい、とは思わなくなるから(やってるから)、言語化したことをあまり心に留めなかったらしい。


なぜ、私が、そう思ったか、そのはじまりを辿ると、そこには、今の自分と同じ年くらいの母がいた。

約20年間、祖父母の介護で大変そうだった母の姿だ。
彼女を精神的に支えた人はいなかった。
母はどんどん壊れていった。

この国は、精神性や思いやりを重んじるあまりにサポートする人に対してのケアが薄い気が、当時からしていた。

サポートする人にもまた、人生があり、それは、サポートを必要とする人の人生の重さとなんら変わらない。

身内の介護については、それをしんどいとは言いにくい雰囲気もある。
子育てとは違い、育つ喜びはそこにはない。
さらに、親ひとり子ひとりでなければ、喪う悲しみを抱えている人たちが周りにはいる。
それがまたややこしい。
介護している人とされる人、サポートする専門家しかいないならば、話はまた違うのだろうが、大抵の場合はそうじゃない。

そして、疲れ切って早く終わればいいのに、と願う自分が登場したなら、それは誰かの死を願うことになるから、精神的にきつい。


私が、心理学やカウンセリングを勉強しはじめたきっかけのひとつも母だ。
母を助けたかった。

なんだ、また、結局、お母さんじゃないか、、、!と私は思った。

次にやりたいこともまた、お母さんの姿から得た発想かよ!というか終わってなかったのかよ!と自分につっこんだ。


私はそこに、クリーンランゲージの質問を使ってみたい。


昨日は、夫の母に会いに行った。
この人は65歳まで、看護師だった。
介護施設や障害者施設で、働いていたことがある。
彼女の友人達には、まだ看護師として働いている人もいる。


「相手の世界観に介入しないというやり方は、瞬間瞬間に、認知や世界観が変わる認知症の人に、感情疲労を起こさずに一瞬一瞬寄り添うには適している気がする」と私は話し、夫の母に例を挙げていった。

夫の母は、なるほどね、いいかもしれないわね、試してみなさいよ、と言った。
日本の看護や医学は、体と精神的なことを今ようやく統合しはじめた感じがするわ、とも言った。



私はもしかしたら、長い長いプロセスの過程にいるだけなのかもしれない。

お母さんのような人が楽になるのを手助けする方法を見つけ出したいという願いを、ずっと抱き続けてきただけなのかもしれない。



最初の実験台になったのは、祖母だった。この中のどこかに書いてると思う。
書いた記憶がある。

母の母。
私がクリーンな質問を使って祖母と話すと、騒いでいた祖母は落ちついた。
あなた、どんな魔法を使ったの?と、介護している叔母が驚いた。
私が使ったのは魔法ではない。
ただの変な質問だ。


自分でやってみよう、そして、また書こうと思った。
私が見つけ出したいのは、専門家が使うのではない、普通の人ができる内容だ。
使命感や目的意識とともに、介護の世界に飛び込んだのではない、ただ、人生の一部として、そこにいる人、ただ生きている人だ。


身内の介護をする人はセミナーには来れない。
そんな時間はないし、あれば、他のやりたいことをするか休んだ方がいい。

だからビジネスとしては成立しないので、そもそもほったらかされやすい。
介護の専門職の人たちは、家族についても学んでいるだろうが、彼らもまた感情疲労を抱えていることが多いらしい。
彼らは家族の心が専門ではない。


私はただ、日記を書けばそれでいい。


やってみよう、と思った。


ゴールは死という場所にいる人達に近づいてみよう。
その中にある生きる喜びを探しにいこう。

どうやら15歳から20歳の私の願いを叶えることが、次の目的地らしい。