順番に叶う願い

どうやら、子供の時に抱えた問題の解消とその名残りの癒しがすむと、人が次に始めるのは、子供の時に抱えた願いを叶えることらしいなと、自分や周囲の、徹底的に自分を癒すことに重点を置く期間を過去に持った人達を見て思った。

周りで似たような感じだなと思う人達は、過去のどこかで傷へのこだわりを手放した人達だ。



そして、私は、自分におきた絵がうまくなりたいと急に思った話から、介護に関わる場所の流れで、ほとんど確信した。

絵は13歳。
上手に描けてるね、と夫がほめたら、それにはもう満足して、私の絵への情熱はすでに冷めた。
絵を描く手順を大きく間違えていたことと、認識の誤りが原因ということに気づき、そこを修正できたので、満足した。


今からやることに関わる場所は、15-20歳。
知識がないのと、幼さで、ありたいようにあれなかった自分の願いを叶えにいく。
人の役に立つ形で。


それより小さな頃に感じた願いは、まあ、だいたいクリアしている。
内容は、全く同じではないが、自分がそこで味わうだろう体感自体は手に入れた。
私は、体感重視だ。
出来事は一瞬で消えるけれど、体の感覚は再現性がある。
だから、ほとんどの願いは、細かな内容は違っても構わない。


そして、ドキドキしはじめた。

私は21から22歳の自分がふと願ったことを覚えているからだ。
私は当時、それを、「現実的に常識的に考えて」却下した。
方法もわからなかったし、「ふと」浮かんだそれは突飛な考えで、現実と掛け離れて見えた。

ここまで全部クリアしてきて、そこだけ無理なんてことは、逆に想像しにくい。

21から22歳の自分の願いがもしも叶うなら、それは、35歳以降の私が描いた願いを芋づる式に連れてくる手段としても成り立つ。


そして、でも、いきなり21から22歳の願いからはやらないんだなと、私はおかしく思った。

どうやら、全員を公平に扱えというのが、私の中のわたしのポリシーらしい。

24から35歳まではやりきったから、そこに残した願いはない。
昇華できてる。


35歳以降、私は、まだ現実化してない願いをいくつか抱えていて、模索を続けている。

そこにどう考えても一番必要だと考え続けているものと、21から22歳の願いは絡む。
そして、その21から22歳の時の願いのために必要な努力は、私は、そうとは知らず長い長い間、努力と思わずに続けてきている。
練習し続けてきた。多分。練習とは思ってないけど。


と、気がついて。


胸が、ドキドキする。。。


ひとつ追加して書いておくと、この願いを叶える方法として、おそらく最初に私がしたことは、自分の思考の変容だ。
徹底的に3年くらい。

癒す時にした手順と同じだ。

人が自分に合う自分を癒す方法を知ることは、そのあと、幸せを作っていく時の方法のいくつかを学ぶのと同じだ。


というわけで、もうすぐ21から22歳。
二週目の人生で、私は、まもなくようやく社会人だ。