そういう仕組み

ここ数年はないけれど、「降参だ」と、過去何回か思ったことがある。
友人達の何人かが、私の人生はパンクだ、ロックだという由縁でもあるが、ここまでの人生で、私は何度か追い込まれたことがある。

そのうち、何回かは泣きじゃくりながら、降参だ、と思った。
毎回、近い友人達は、面白い!と大爆笑しながらそれを聞いていた。
あの時、彼らがもしも、深刻に心配したなら、私はもたなかっただろう。

どうにもならない時は、笑いとばすしかない。
深刻になったらゲームオーバーだ。
笑えない私の代わりに、大爆笑してくれたことに、今でも感謝している。



私の力ではどうにもならない。
私にはその力がない。
降参だ。

自分はなんて無力なんだろうと何度も思った。

理由や出来事は様々だった。


そして、不思議なことに、これは本当に不思議なことに、私がそういう風になるたびに、友人達が笑うたびに、事態は改善した。

自分ではない、だれか、どこかから、サポートが入った。

たまたま誰かと道で会う、たまたま誰かが連絡してくる、たまたま、たまたま、、、。
とりあえず、必ず、たまたま、何かが起きた。


それらを通じて、お手上げだ、と思うと、サポートが入る仕組みのようだ、と私は学習した。
助けてくれ、とは思わなくても。

そういう時は、助けてくれと言語化できる余裕すらないとも言える。
何かに祈る余裕もないとも言える。



そして、私が無力になればなるほど、できることが増えていった。
私は追い込まれなくなった。
私の望みは現実化しやすくなった。

なんとも、不思議な話だ、と私は思い続けた。
どういう仕組み?と。


そういう仕組み、と、今はただ思う。