刷り込まれたフレーズ

人にはよくしなさい。
人の喜ぶことをしなさい。
人には親切にしなさい。

これは、様々な身内の大人から、子供の私に刷り込まれたフレーズだ。
標準語で聞いた回数が一番多い。

私の周りには、大阪弁、山口弁、それから標準語と3種類の日本語が存在していた。
大阪弁でも山口弁でも標準語でも、大人達は、なんどもなんども同じことを言った。

標準語の人は、実際に目の前で、それをやってみせた。
いつでも誰かの世話をしていた。
その人もまた、私と同じことを言われて育った人だった。
そして、その人の母親が実際にそうしているのを見ながら育ったと言っていた。


昔は、誰でも言われたことなのかもしれない。
もしくは、家族の中に受け継がれていた生きる知恵か。

なぜか、役に立ちなさい、とは言われたことがない。
役に立ったかどうかは、相手が決めることだからかもしれない。


この標準語の人は、自分によくしたり、自分を喜ばしたり、自分に親切にしたりするのを疎かにする傾向があり、しんどそうなことが多かった。
それで私は、大人になる頃には、人によくしたり、人を喜ばしたり、人に親切にしたりするには、自己犠牲するしかないのだろうか?と疑問を抱いていた。


助けることでしんどい人が増えるなら、それで楽になった人がいたとしても、世に存在するしんどい人の総数は変化しない。

しんどい人が入れ替わるだけだ、または、しんどさが薄まって広がるだけだと、大人になった頃、私は思った。

助けることで喜びが感じられる、助けることで幸せになれる、助けることに精神的負担が低い、そういうやり方でなければ、私はやりたくない、と思った。

私は自己犠牲はしない、と決めた。
命を差し出して誰かが救えるくらいのことがあればやろう、しかし、それ以外のレベルの話なら、自己犠牲せずに同じことができるやり方を模索しようと決めた。

しんどい人を、世に増やしたくはなかったからだ。

目の前で見続けた人を助ける、は、実にしんどそうだった。
仕事なら対価を得るので、また話は違うが、彼女はそれを仕事でしていたのではなく、彼女のそれは全て無償だった。
彼女は生活には余裕があった。



そして、それでも、その標準語の人を救いたいと言った私に、「自分ができもしないことを他人に強制するな。まず、自分」と言った人がいた。

そして、長い長い時間が過ぎた。



私には、子供がいない。
もしも、子供がいたら、これを踏まえて、人にはよくしなさい、ただし、自分にもよくしなさい。
人の喜ぶことをしなさい、同時に、自分を喜ばせる方法も見つけなさい。
人には親切にしなさい、自分にも親切にしなさい。


受け継がれてきたのだろうそれらの言葉の改良型を、子供には教えたと思う。

そして、どの親もそうであるように、育った我が子の姿から、自分が教えたことの結果を見ただろう。
自分が人生の中で得た知恵を身につけた人が、どうなるか。


しかし、私は、それはできないので、つまりは、自分でやってみるしかないのだ。
次世代に託すという多くの親が使う願い方が、私は使えない。


親がいいと思うやり方は、どのような結果につながるかを、親は知らない。
自分が育てられた方法と違うことをする時はもっと知らない。

私の両親が加えた「自分で考えなさい。自分の頭を使いなさい。」「自分で決めなさい。ただし、その責任も自分で持ちなさい。」「自分の人生なのだから、自由に好きなようにやりなさい。」というアメリカンな方針は、他の身内からは聞いたことがない。

彼らがそれを言い続けた結果、私は、自立心は非常に強いが、同時に、過去、多くの失敗を引き起こした。
知恵と経験が足りない状態で、自分で考えれば、当たり前のように失敗する。

彼らが言い続けたことが私の中でうまく機能し始めたのは、40歳くらいからだ。
時代が、彼らが教えたことにあいはじめた。
彼らは、これからの時代は、とよく言っていたから、少し先に標準を合わせて育てていたのかもしれない。
きっと親というものは、そういうものなのだろう。


さて。
私が得た改良型は、どのように機能するか?

ここからの時代は、サポートを必要とする人数が今より増えると私は読んでいる。

自分がしんどくならない方法を覚えた人が、人に親切にしてみる時、どうなるか?

自分がしんどくならないとわかった後の方が、はっきり言って、私は人に親切だ。

今までのところ、まあ、うまくいっているが、これは次の時代にも通用するか?

やってみるしかないのだろう。
私の子供が親切にしたかもしれない人数くらいには、自分が死ぬまでに親切にしてみよう。