緊急事態宣言が解除された口
昨日の話をもう一つ。
おばちゃんは、変化への適応力が柔軟ね〜。
これまた、昨日、朝、礼拝に向かう電車での話。
昨日はいいお天気だった。
朝の電車の中は、ハイキングか何かに出かけるおばちゃん達のグループでいっぱいだった。
大阪は、最後の緊急事態宣言くらいからは、集まって飲食くらいはやや控えているし、マスクもたまにおじいさんがしていないくらいで、ほとんどの人がつけてはいるが、町の人の多さは、まあまあ元に戻っていた。
しかし、普段のやかましさからは5割ほど静かな気がしていた。
大阪の特徴のひとつは、町がやかましいことだ。
やかましいは方言で、うるさいとほぼ同義ではあるが、微妙にニュアンスが違う。
意識はしてないが、おそらくみな、使い分けている。
私は、国内の他の地域から新幹線で帰ってくると、新大阪駅、大阪駅の音量に、ああ、帰ってきた、相変わらずやかましいなと思う。
人の数は比べようにならない東京駅の静けさと真逆のやかましさだ。
東京の駅は静かでいいといつも思う。
歩きながら話している人が、ともかく多いのだ。
老いも若きも、連れがいれば、話しながら歩いている。
街中で親に怒られている子供の数も多いような気がする。
特にやかましいのは、おばちゃん。
(まあ、私も、おばちゃんと言えば、おばちゃんの年齢である。)
声も大きい。
以前に行ったグアム旅行では、話し声がにぎやかなところを見れば、そこには中国語を話すおばちゃんか、大阪弁を話すおばちゃんの姿がだいたい存在していた。
以前に、中国からの観光客の人たちの声が大きいという話題が散見されていた時期も、大阪では、それはあまり問題になってはいなかった。
おばちゃん達が、すでに、存在していたからである。
しかしながら、この一年半、おばちゃん達は、少し静かに喋ることができるようになっていた気がしていた。
電車に乗って繁華街への外出も控えていたのかもしれないが、町の音量が、少し下がった。
電車の中は特に喋る人が減っていたように感じた。
昨日、私が乗った電車の中は、車両にいる人数と、やかましさが比例していなかった。
おばちゃん達が何グループかいて、もう、やかましいとはっきり言ってよかった。
耳が遠いのもあるかもしれない。
緊急事態宣言は、解除されたのである。
なんと素早い適応力。
解除されたのは、外出自粛だけではなかったようだ。
解除されたのは、電車の中での、肩と肩を並べてのおしゃべり。
私はそう思った。
若い子は意外と静かにしていた。
喋っていても声は小さい。
これは元から。
これならたいして、飛沫も飛ばんだろう。
そして、私は、誰かがどこかで書いていたのを何回か目にしたことがあるのを思い出した。
大阪の感染者が多いのは、よく喋るからだというその意見は、もしかしたら、あながち間違えてはいないかもしれないと思った。
しかしまあ、やかましさは平和の証でもある。
町の平和あるところに、やかましさはセット。
仕方ない。
そして私は、「薬、次に間に合えよ」と思った。