だらだらと昨日の話
昨日、礼拝が終わった後、教会でもある音楽スタジオで、6時間、話し込んだ。
人の意識が変わる最短3か月、人の現実が変わる最短3年。
完璧に変わるのに20年。
私は、話をしながら、流れた時を感じた。
この2年ちょっとで、もはや、その発言まで、完全に、ジーザスの弟子化してしまった自分を感じた。
まあ、何が変わったということもないが、考え方のベースに、自由、解放、癒し、許し、喜び、愛、が存在している感じがした。
そして、長い長い時が経ち、それでも変わらなかった自分が愛するものも。
ピアノの音?
私は、その日、遥か昔に途絶えた自分の夢を、Jazz Pianoを弾き始めたその人に託したのだと気づいた。
自分がしたかったことと同じことを、その人が奏でるピアノの音はすることができる。
そしておそらく、同じ目的で、その人はピアノを弾いている。
話しながら、私は、23歳の私が親に切った啖呵を思い出した。
23歳。
私がやりたいことは違うと、会社を誰にも相談せずに退職し、これからはアルバイトとピアノを弾いてご飯が食べられるようになると言った私に、母は涙ぐみ、父は怒った。
父が怒ったのは、私が、なんの相談もなく、会社を辞めたことだ。
私は両親に言った。
「自分が弾くピアノの音で、私の体を使って、誰かを癒したり、幸せな気持ちにしたりしたいんだ。それが、私の人生なんだ。」
私の演奏能力は、ほどほどだった。
けれど、ピアノを弾きはじめた小さなあの日から、私は、自分が弾くピアノの音で、人の表情が変わるのが好きだった。
私の両親は、社会のモデル世帯の見本のような生き方をしてきた人達だった。
父は、一部上場企業の会社員、母は専業主婦。
まだフリーターという言葉が、社会に登場しはじめたばかりのことで、好きなように生きろと娘に言い続けていた彼らですら、まともな人は会社で働いているという感覚が強かった。
ついにフリーランスと会社員の比率が逆転した、今なら違うかもしれない。
フリーランスも、社会の枠の中に、収まったから。
「大学まで行かせたのに、水商売なんて」と、母は泣いた。
それから一年半の短い間、私は、午前中はアルバイト、昼はピアノの練習、夜はラウンジで、弾き語りをしていた。
それからいろんなことがあり、長い長い時間が経った。
今、私の指は、パソコンのキーボードを弾く。
キーボードを弾くという同じ動作で、今、私は、文字や言葉、色を使って、人の心を動かせるものを、奏でる。
(おそらくは、音楽よりもそちらの方が才能はある。)
昨日、私が話していた、自由を愛するその人に、私は、語り続けた。
今書いたような話ではないが、ともかく語り続けた。
私が話しているのか、他の何かの翻訳をただ自分の口を通して話しているのか、だんだんわからなくなりながら。
たまに、そういう時がある。
これは昔からだ。
それでも、それは、私の口から出る限り、私の言葉だ。
誰の言葉でもない。
私の言葉は、ただひたすら、彼を励ます言葉だけを紡ぎ続けた。
何を喋ったか、内容は、ほとんど覚えていないが。
今ならどちらでも選べる、と、言ったことは覚えている。
そして、昨日、自分の口から出た中で、一番伝えなくてはいけなかったことはそれだ。
私の仕事は、相手に、今が選択の時だと知らせることが多い。
選択そのものは、その人のやることだ。
私の仕事は、難しい方の選択を引っ張り出すことだ。
難しい、けれど、そこに、魂が震えるような喜びがある可能性がある選択。
人は、それは、なかなか意識上にあげない。
クリーンランゲージを使えば一時間でできるそれを、普通の会話でやろうとすると、長い時間がかかる。
ただ、日常会話の中で、普通のコミュニケーションとしてやる時は、質問よりも、自分の意見として話す方がいい。
クリーンランゲージで使えないものは、友情だからだ。
そして、世の中には、友情が必要な場面は多い。
私は、真剣に生きている人が好きだ。
そういう人に、友情を感じる。
そういう人が、成功することを、私の心は望む。
まあともかく、長い時間が経ち、そして、帰り道、私は電車を乗り間違えた。
頭がぼ〜っとしていたのだろう。
私は帰ってきて、倒れ込むように寝た。
10時間以上。
朝、起きて、昨日はいったい何だったのか?と、不思議な気持ちがした。
そして、スマホのカレンダーを見て、ギョッとした。
今週、なぜか知らないが、セッションがぎちぎちに詰まっていたからだ。
普段、そんなにギチギチには詰まらない。
動く手前の人が多い時期なのかもしれない。
私は、カレンダーを見ながら、全部、クリーンランゲージでやろうと深く思った。
それが疲れなくていいや!と。
この話の終わりは、クリーンランゲージの利点のひとつに私が気づくこと。
これは、クライアント側の利点ではなく、提供者側の利点。
人の話、人の人生に関わる話を聞くことを仕事にしている人の利点。
疲れない。
仕事では、これは大きい。
それでも、人は、他人の言葉を必要とする時もある。
それもまた事実。
そして、経験上、励ましを必要とする人には、その人自身の言葉より、誰か他人の言葉が必要なことが多い。
人はひとりでは生きていないから、そこには他人がいるのだから、1人の力で足りない時は、他人の力を借りればいい。
勇気や希望、愛は、他人に貸すことができる。
温かいものは、自分のものであって、自分のものではないから。
そして、私は、もう一度、自分に言った。
今週のセッションは、全部、クリーンランゲージだけでやりますから。
体力に限りがある。
それまた私である。