ら、は、よほど大切らしく、話はまだ続く
「ら」の話は続く。
こういうことですね!と、また、私は思った。
4日連続、食べ物をもらった後、夕方、私の家のポストに、チラシが入っていた。
それは、子供達が並んでいた列を運営しているフードバンクが入れた寄付金依頼のチラシだった。
行政も絡んでいる団体だった。
私は、自分がこの4日もらった食べ物と、自分の一食分くらいの金額を、インターネットバンキングから匿名で振り込んだ。
自分にできることがあったので、少し気が楽になった。
しかも、自分はもらいまくってる中なので、気持ちに余裕があり、寄付できることに幸せを感じた。
すると振り込みが終わった瞬間くらいに、ある人から電話がかかってきた。
それは巻き込まれそうになっているややこしいお金がらみの話の相談だった。
普通はセッション案件だ。
死に銭を使うな、使うなら生き銭という話をした後、二時間後、私は言った。
振り込み先を送るので、そこに5000円振り込んで欲しいです。
これは生き銭です。
それで子供のお腹が膨れる。
そして、フードバンクの振り込み先と、活動説明の書いてあるチラシの写真を送った。
その人は、大層喜んで、すぐ振り込みしてくれた。
今朝、人からもらったパンを食べながら、こういうことね!と思った。
そう、そういうこと。
そういう仕組みだ。
我を手放せ。
文字では理解しない君も、体験すればわかっただろう。
みんなが幸せになる仕組みだ。
誰かが見返りなく祈り、誰かが見返りなく与える時、与えられた人(この場合、与えられたのは私)の心は動く。
自分が得た物の十分の一は、人に分けろ。
そうやって、世界は回っている。
我を手放せ。
その時、最も、僕は仕事がしやすい。
ら、の中に、君も入っている。
君を満たすのはとても簡単。
僕にまかせろ。
君は君が満たされることは考えなくていい。
わかったかい?信仰薄き者。
また、何かがそう言った気がした。
わっかりました!と、私は思った。
これははっきりわかりやすかった。
ようできた話やと私は思った。
ようできた話ではない、そういう話だ、信仰の薄き者、と、何かが言ったかどうかは知らない。