次のカードのデザインのはなし
別の話。
日記。
色鉛筆で書き溜めたデザインがございまして。
いつ書き溜めたかというと礼拝の聖書朗読の間。
30分くらいあるんですが、これがまあ、私には苦行。
黙ってじっと座っているのが辛いのです(笑)
これは脳みその関係です。
私が学校という学校が好きでなかった理由のひとつには、黙って座っているという作業があったこともあります。
考えて発言させてくれる西洋式だったらいけたかもしれない。
まあともかくそれで、私は、話を聞いて浮かぶ模様を描いて過ごすという方法を思いつきました。
教会には、私の色鉛筆セットが置いてあります。
聖書はスマホアプリ、歌って、話を聴きながら模様を描いて、お祈りする。
それが、私の礼拝です。
聖書を聴いて浮かんだものを描いているなら、それでよし、という扱いになっております。
最初は怒られるかなと思いましたが、あなたとても楽しそうなので、描いていていいです、ということになりました。
ちなみに、聖書がスマホアプリなのは、老眼気味だからです(笑)
アプリは文字が大きくできるので、眼鏡がいりません。
とりあえず、聖書朗読中、面白いように模様が浮かぶので、私は、模様を描きまくっています。
私の仕事のひとつに、カードのデザインがありますが、昨年末売り出したカードのデザインの一部には、私が礼拝中に、こっそりパソコンで作ったものが含まれています。
オンライン礼拝だったので。
そのカードデザインは、大正時代の着物のデザインをテーマにした和柄でした。
浮かばなくて困っていたデザインは、コリント人への手紙という章の中の、喧嘩したらあかんというような話のところで浮かびました。
さすが、オールマイティ!
和柄もカバーしてる!と、私は、妙に感心しました。
カード発売後、何も知らない私に洗礼してくれたとある牧師さんが、そのデザインを褒めてくれました。
ええ、やはりお目が高い、コリントを聴きながら作りました、デザインに集中しちゃったので、話はほとんど聴こえなくなりましたが、と、私は思いました。
そして今。
私は、次作のカードの打ち合わせをスタートさせています。
今は、色監修してくれる人と、打ち合わせをしています。
だいたいいつもそうなんですが、カードのデザインは、ある程度のところまでは、私は、カードに使うと理解しないまま、これ何?と作ってしまっていることが多いです。
カードを作る気はさらさらない状態で。
商品だと思うと、発想に制限がかかるのかもしれません。
そして、先々週。
打ち合わせ相手が、なんかアナログで、素材をうんぬくんぬと言いました。
私は、これ?と、昨年夏、これ、何に使うんや?と思いながらベランダで描いた、ハゲとアクリル絵の具で描かれたものの写真を見せました。
そして、先週。
打ち合わせ相手の口から、色鉛筆、という言葉が出ました。
そして、土曜日。
私は、気がつきました。
持ってる!
色鉛筆のデザイン画、死ぬほど持ってる!
二年分持ってる!
100枚近くある!
デザインのたたきはできてる!
うわお!ジーザス!と、私は本当に言いました。
私が作っているものは、キリスト教的にはギリギリのグレーゾーンにあたるものです。
グレーちゃう。
ホワイトや!と、私は思いました。
ジーザス、協力してくれた!
未来を見越して!
ちなみに、クリーンランゲージについても、礼拝中に、アイデアが浮かんでいることが多いです。
ふっと浮かぶ。
おそらくは、愛や希望を歌ったり、愛や希望や平和を祈ったり、好きに描いたりしている私の思考がメタステート(メタ=高次の、ステート=状態)にあるのではないかと推測しています。
愛や希望や平和は、私が関わっている業界の中では、メタの発想に分類されるものです。
クライアントがそれらの単語を口にしたら、あ、状態変わったなと判断いたします。
この場合は、しかも、自分についてではありませんから、はっきりメタです。
つまり、礼拝をさぼらん限り、私は週一回は、努力なしに、メタステートに自分を持っていけるわけです。
それしか考えません、という空間の中におかれてしまうので。
これ、クリスチャンのメリットのひとつと、私は認識しています。
効果、ですね。
次のカードのタイトルは、「ジュビリー」です。
公開してませんけど、書いてしまいます。
響きがかわいいという理由で、意味わからず決めました。
後から調べて、さぶいぼが立ちました。
喜びのラッパでした。
元は、旧約聖書でした。
次作のコンセプトは、喜び広がる世界、でした。
だから、さぶいぼが立ったのです。
できすぎよ〜!
そして、11月に入ったら、私は、京都にあるフランスのシャンゼリゼ通りに本店がある洋菓子やさんに、色のすり合わせのために、アフタヌーンティーに行きます。
パリで一度行きました。
色に萌えて死にそうになりました。
本当に、パリの色は素晴らしかった。
その店のマカロンの色を、色監修の人と確認に行くのです。
私が大好きなものの中で、話は進みます。
メタワールドって、多分、こういうことなんだと、私は思いました。
私が作るのは、自分のためのものではありません。
私は、自分の作るカードを必要としません。
自分のために使うのは、テストプレイの時のみです。
あ!「ら」だ、ら!と、また、私は気付きました。
ら、のために、働く時、いつでも、君に力を貸そう。
君が、びっくりしたり、喜んだり、楽しんだりしながら遊べるように。
ら、のためなら、いくらでも遊びなさい。
わかったかい?信仰薄き者。
ら、のために、何かしようとするなら、君の苦痛は、君が気づかない間に、先回りして取り去ってあげよう。
君はそれについては祈る必要すらない。
やりたいことを考えなさい。
だから、ら、のために、働きなさい。
そうしていれば、君は、ずっと幸せだ。
きゃ!とか、さぶいぼ!とか、驚いて笑ってなさい。
君が笑えば、君が喜べば、それが、神への感謝だ。
心のこもらない、義務だから無理やりそう思うとするありがとうございます、はいらないよ。
君が喜ぶものを、あげよう。
ただし、君が、ら、のために働くなら。
わかったかい、僕のすごさが。
信仰薄きものよ。
次の日曜日、礼拝休むし、書いとくわ。
すごい、ジーザス!
ありがとう!
こうして、私は、ジーザス沼にハマっていくのだろう。
黄色いバスもよろしくね!
思いっきり、ら!、なんで。