大人になれば解決する話
仕事のご相談をさまざまにお伺いする中で、最近、ちょっと気になっている共通パターンがある。
ご本人たちには、はっきり感じたことを私の意見としてお伝えしているから、これを読んで、「えっ?!」となるクライアントさんはいないと思うので書いてみる。
むしろ、他にもいた!と安心するかもしれない。
(安心してはいけません。)
そして、それを聞いたクライアントさん達は、ことごとく、ケタケタケタと笑ったので。
技法の本には書いていない。
人生100年時代の影響なのかどうなのか。
もっと若い人の話としては、聞いたことがある。
ちなみに、この場合、その共通のパターンを持つクライアントさん達の年齢は、共通してアラフィフ。
そのパターンとは、どう考えても、仕事がうまくいかない(または、うまくいっていないわけではないが、ご本人の認識としては、特に人間関係に問題があると感じている)理由。
「あのね、もう、二十代じゃないからね」というものである。
二十代の女の子や男の子が言いそうな話です、それは、という内容。
もしも、二十代の人がそれを相談してきたならば、私は違う対応をするだろう。
スタンダードにセッションをする。
おそらくクリーンランゲージを使うだろう。
自己や自我の成長過程にあると判断するからだ。
それに、実際若いのだから、若くていい。
周りもそう扱う。
中に子供が潜んでいることがあっても、だいたいの場合は、人生経験の中で、自然と大人になれる。
しかし、アラフィフとなると。
話は子供から大人ではなく、若い大人から成熟した大人。
だから少しわかりにくい部分もあるかもしれない。
若い大人も一応大人だからだ。
そして、それについて探求する時間は、もったいない。
その人が本来いるべき場所にたどりつくのを遅らせることになる。
つまりは、成熟した大人になれば解決すると思います、という話だ。
本人が、流れた時間と、自分が成熟した大人であると認識すれば、それですむ。
または、自分が幼いと気づけばそれでいい。
気づけば、そもそも、大人なわけであるから、大人に戻れる。
周りの人は、その人を大人、しかも成熟した大人として扱っているわけで、成熟した大人に要求することを、見た目成熟した大人に要求しているだけの話に、私には聞こえるのだ。
意外と、みなさん、中がお若いのである。
幼い、かもしれない。
見た目はしっかり成熟した大人だから、話はややこしい。
見た目はアンチエイジングに心惹かれる年齢ではあるが、中身は若返りではなく、ある程度は年を重ねる必要がある。
私の個人的統計によれば、これには子供がいるいない、結婚してるしてないとは、どうやら関連性はないようである。
年齢はアラフィフ。
私より少し年長の方々に多い。
そうなってしまった理由はわからない。
きっとそれぞれ違うだろう。
理由はなんでもいいのだ、この場合。
必要なのは未来と結果だ。
ただ、ともかく、感じ方が二十代のままなのだ。
そして、ここが問題なのだが、ご本人がそれに全く気づいていない。
けれど、指摘すると、あら、ほんと!と、一様にみなさん、ケタケタと笑いだす。
とても楽しそうに。
最初のクライアントさんが登場した時、私は、ややびびりながらそれを口にした。
失礼だと怒りはるかな?と思ったからだ。
しかも、その人は、初めてお会いした人だった。
その人たちのメタファーは大人だった。
しかし、普通に話す内容は、二十代だった。
社会を知らない新入社員が言いそうな内容。
メタファーが子供だったら、話は違うけれど、メタファーが大人だったので、私は、心と頭に認識のギャップ(ずれ)があるな、言わねばなるまいよ、これは、と判断し、意を決して「ちょっとご一緒に確認しましょう」と事実を淡々と伝えてみたら、それを聞いた最初のクライアントさんは爆笑した。
それで、以後は、あまりびびらずに言えるようになった。
あなた、もう、二十代じゃないですよ、と。
人間関係がうまくいかない時、理由はただ、その人は大人で、成熟した大人の人間関係の中にいるのに、子供や若者の理論で物を感じている場合があるかもしれないという、気づきでございました。
あと、これを書いた理由がもう一つ。
ここから先の時代は、頭を使う必要があると思うので、経験値と知恵が低い若い大人でいるより、成熟した大人でいる方が生きやすいような感じがしている。
大人だから助け合える。
いつでもそうだけど、ここから、おそらく、そういう話がたくさん登場するはずだ。
若い大人と成熟した大人の違いが何か、それは人それぞれの考えや状態が登場するはずだ。
ポジティブな意味の成熟した大人のイメージを作ってみるのは、意外におすすめかもしれない。
おそらく、その人の中に、成熟した大人の目指すモデルがなかったことも要因のひとつと推測できるからだ。