好きな食べ物は何ですか?
昨日、「好き」について、新しい発見がひとつあった。
昨夜、私は、すでに知っている人1人、初めて会う人4人のオンラインの楽しい集まりに参加していた。
まず最初に自己紹介をした。
一巡した後、私は、お願いをした。
「私は、人の名前を覚えるのが苦手なので、みなさんの好きな食べ物をひとつ、教えてください。そしたら覚えられるので。」
これは人に限らない。
ありとあらゆる名前と、その定義や概念を結びつけるのが、私は苦手である。
名前と顔だけで名前を覚えられない。
体験の中で自分が使えば、一発で覚えられる。
だから、英単語の数を増やすのに苦戦中でもある。
工夫がいるからだ。
私がお願いしたのは、その工夫のためだ。
体験を作るため。
そして、私は、メモしていた名前を一人一人呼んで、顔を見て、まず、名前と顔をもう一度みて、それから、好きな食べ物を教えてもらった。
私がしたのは、クリーンランゲージ&シンボリックモデリングで、クライアントにシンボル名を覚えさせる時の応用だった。
これをはじめてから、私は、前より、人の名前を覚えられるようになった。
名前(人)を覚えるために必要なもの。
その名前(人)の今ある場所。特徴ふたつかみっつ。
その時、場所は、全員、画面の中だった。
質問をする時には、その名前のもの(この場合は人)がある場所を見て、そこに注意を向けること。
そして、私自身の特徴として、セッションを提供していて覚えやすいの名前は、その人のリソースの名前だ。
セッションの中で登場したリソースの名前は、なぜか忘れない。
私の脳みそは、どうも、その人の顔と名前より、顔とその人のリソースの名前を優先して覚える傾向がある。
リソースは、その人が好きなもの、事、価値があると認めているもの、事だ。
というわけで、まず、質問したそこで、私はひとつ、興味深い発見をした。
食べ物には、ときに、飲み物が含まれるということ。
飲み物を尋ねて、食べ物を浮かべる人はあまりいないが、食べ物と尋ねると、飲み物は登場する。
そこにも、答えが飲み物だった人が2人ほどいた。
もちろん、答えは、飲み物で構わないのだが、私は、そこで、ああ、そうか、日常的に使う単語ですら、その定義の幅にはいろいろあるなあと気づいた。
質問内容をいかに受け取るかには、幅がある。
本当に小さな単語まで、人は一人一人、微妙に異なる理解を持つんだなあと。
これは、自分が見ていたり、生きていたりする世界は、本当に、自分自身の世界の理解の投影にしか過ぎないなあ、と。
だから、コミュニケーションは必要だな。
これが一つ目の気づき。
言葉に対する理解の。
そして、そのあと、私の好きな食べ物は何かと尋ねられた、自分の答えが、私は興味深かった。
それが二つ目の気づき。
今度は自分自身について。
私の口から登場したのは、メロンだった。
5歳の時から、メロンが私の大好物であることには間違いない。
だがしかし、最近、私は好きな食べ物を尋ねられると、プリンと答えるようにしている。
好きな飲み物を聞かれたら、紅茶だ。
プリンも、たしかに大好物だ。
しかし、私は、再確認した。
私のナンバー1は、やはり今でもメロンなのだ。
そして、けれど、自分が、なぜ、いつもはプリンと答えているかにも気がついた。
無意識だったけれど。
そして、それから、私は、意外に人に気を使っている自分に気づいた。
昨日は、その気遣いは不要なシチュエーションだったから、メロンが登場したのだろう。
シチュエーションによって、自分は答えを変えていると、私は気づいた。
その質問に含まれている前提を推測して。
人の名前を覚えるために、質問してみただけで、この気づき。
素晴らしい。
そう。
私はプリンも大好きだが、メロンはもっと大好き。
夕張メロンが一番好き。
桐の箱入り、最高。
私が今、ほとんどメロンとは答えないのは、メロンとプリンのその価格の違い、それから手に入れる簡単さの違いだということに、私は気づいたのだった。
我が家の冷蔵庫には、いただきもののプリンが時々入っている。
無意識に他人のお財布に気を使っていた自分に気づき、ちゃんと大人になれていたと、満足な気づきだった。
私は、桐の箱に入った夕張メロンが、最高に好き。
うん、ちょっと感じ悪いから、今後も、シチュエーションによっては、私の好きな食べ物は、プリンでいいわと、私は再確認したのだった。
そして、本当に好きなものに気づくのは、日常の中では、ときに難しいと、再確認した。
それから、一番好きなものじゃなくて、好きなものでも、同じように幸せを感じられるということ。