祈りと政治
私は、とことん現世利益主義である。
ジーザスを信じているが、その救いとしてメジャーな死後の救いには興味がない。
私は、現代っこだ。
奇跡は大好きだが、神秘にも興味はない。
祈りの力も信じるが、私は、いつかそれは、科学的に別の事象として解明されるだろうと思っている。
科学の最先端はあっても、科学は最先端とは限らない。
科学が発見することは、太古の昔から、別の理解で存在してきたものであることも、きっとままあるだろうと思っている。
信仰は、今を生きるに役立つツール、として捉えている。
私にとってジーザスやホーリースピリットは、今を生きるパートナー。(二つとも同じもの。)
私にできないことをやってくれる。
シンボルの力とは、素晴らしい。
このシンボルの定義は全知全能。
加えて、目に見えない。
神さまが素晴らしいのは、死なないことだ。
私は、命ある限り、ひとりぼっちになることはない。
孤独とは、永遠に無縁。
誰が思いついたかは知らないが、素晴らしいシステムである。
理屈がなくとも、理屈と同じところは先に存在し、理屈はいつでも後からついてくる。
神さまは、人によって、やっていることが違う。
その、違う理由は、人の自由意思ということになっている。
神という存在がほんとのところ何なのかは、私にわかりようもないが、人の自由意思が存在し、人によってやってることが違うのであれば、そしたら、それはもう、私な馴染み深い別の名前のあるものと、個人については変わらんだろうと推測される。
ただ、まあ、一般に、神さまという名前以外で、人が、全知全能のそれを口にするのを聞いたことがないから、やっぱり特別には違いない。
多分、だいぶと変わった認識だと思われるけど、人の認知は、あると思えばそれはあり、ないと思えば、それはない。
私は、選択的に、神さまがいる世界、に住むことにしたので、徹底的に、その世界の中にあるリソースは拾おうとしている。
現在までに気づいたリソースは、ホーリースピリットネットワークで、これについてはどこかに書いている。
名前は、私が適当につけた。
心がぽかぽかして、話が早いネットワークだ。
そして、また、私は、なるほどと気がついた。
朝一番に考えることは、自分のことではない。
朝一番には、別のことを考えろ、それが幸せへの近道だと、ジーザスは教えてると。
朝一番は、感謝からはじめろ。
まだ何も起きてないから、とりあえず、神さまに感謝して、心をぽかぽかにしとけ。
そして、自分以外の人の幸せを祈ることからはじめなさい。
それは、心の重荷を減らすから。
なるほど!
よくできてる!と、私は、定型のお祈りに感動した。
自分のことを考えないことが、自分の心を温め、心の重荷を減らして軽く一日を始められるコツなのね。
だから、私は、気づくまでも、そのお祈りが好きだったのだと、気がついた。
単に、気持ちいい、という理由で。
理屈は、いつでも、後からついてくる。
私の頭は、体よりばかだ。
他者の幸せを考えることが、自分が幸せになる最短なのだと、私は、再び確認した。
そして、これに気づくために、私は、見たくない景色をひとつ、見る必要があった。
幼い頃に外国で見て、えらくショックを受けた景色が、2021年、日本の、自分の家の近所に登場したところを。
食べるものに困っている人々の行列だ。
私は、土曜日にそれを見た。
私が住んでいるのは、下町だが、貧困地域というわけではない。
しかし、そこに、その景色は登場した。
私は、ニュースでは知っていたけれど、自分の目でそれを見て、本当にショックを受けた。
そこに、子供が並んでいたからだ。
見えないものを見えるようにする、は、また、ジーザスの働きのひとつだ。
私が見ないようにしていたものは、私の目に入り、そして、私は、朝のお祈りを少し変更した。
文言はいじらない。
力をこめる文字を変更したのだ。
私のことはいい、他の人のことだ、それを朝一祈れという話だと、私が気づいたからだ。
たしかに、心の重荷だ。
食べものに困っている人が、あんなに多いなんて。
そして、みんな、見た目、普通のかっこうだから、見分けがつかない。
見なければ何も感じない。
見れば、心の重荷だ。
だから、祈りなさい。
何もできない君の心の重荷を下げて、無力感を取り去って、それから一日をはじめよう。
祈ることは、今日の君にもできる。
そういうことかと思った。
2035年までに世界の貧困を無くすという世界的なプロジェクトが動いているのは知っている。
けれど、その対象国に、日本は入っていない。
貧困のレベルが違うから。
日本は、お金を出す側だ。
けれど、日本にも、食べものを求めて並ぶ人が登場しはじめている。
それは、今までとは違う層の人々。
今、私にできることは、祈ることと、まじめに考えて、選挙に行くこと。
とりあえず、コロナ政策は、大失敗だ。
期間中、学校を休校にしないように頑張った理由のひとつが給食にあるのは聞いたことがある。
給食が生命線になっている子供がたくさんいるからだと。
それにしたって、子供を、食べものをもらう列に並ばせる政策は、大失敗だ。
子供は自分では稼げない。
なぜ、お金を配らない?