ドラクエリトリート
私は年に一度、または、頭を整理したい時、考えるのをやめて、ドラクエをプレイする。
ドラゴンクエスト。
この数年はスマホでする。
ここしばらく、空き時間は、ずっとドラクエをしていた。
今回のチョイスはⅣ。
自分が暮らす村がほろぼされるという取り返しのつかない手痛いダメージを心に負った勇者の子供が、主人公だ。
トルネコという商人が出てくるが、私はそのキャラが好きだ。
そして、ラスボスを仲間に引っ張り入れ、敵を味方にした後、裏のラスボスを倒す手前の武器防具、経験値を集める地味な段階を、今、やっている。
レベルがあと5足りないので、しばらくかかるだろう。
私がドラクエをやるのは、人によっては瞑想したり、ワークショップに参加したりして得る効果が欲しい時だ。
ただ何も考えず、ドラクエをすると、私の中の何かが動く。
そして、私は、自分が非常に怖がりだということを思い出せる。
何度もクリアしているけれど、いまだ、洞窟の中が怖い。
出てくるモンスターを自分が一撃で倒せることは知っているし、たとえ、やられたところで、何度でも立ち上がることを知っているのに、それでも怖い。
そういう自分を思い出す。
そして秋の真ん中、私は、自分が探し続けている魔法は、人の望みや喜びが実現するのを手伝う魔法だけではなかったことに気がついた。
可及的速やかに癒すための魔法の呪文も、私は探し続けてきたのだと気づいた。
どれくらいの速さかといえば、できれば、OSをアップデートして、バグを修正するプログラムをインストールくらいの速やかさで。
そして、今、現実の中で、自分がしている作業は何かに気がついた。
私は今、数年かけてやってきたことをいよいよさあ、日本語の魔法の呪文にするためにやるわよと手をつけた作業は、いわば、そのプログラムのコードを書いたものに、日本語用のコードを加えて、日本語用の追加プログラムを足すようなことだ。
実際、作業はパソコンでやるし。
それは、翻訳という名前を持つ。
私がなぜ、そこにこだわり続けているか、その理由は、魔法の呪文が効くスピードにもあるということに気がついた。
英語と日本語の呪文が作用するスピードが違うこと。
英語は固体で日本語は水だ。
日本語によりそうならば、流れるような質問でないと、日本語で物を考える人には、時間がかかるかもしれない。
ああ、そうだ。
日本語は水だ。
固体にかける魔法と、水にかける魔法は違う。
人間は人間だが、岩を砕くのに必要なことと、氷を溶かすのに必要な魔法は違う。
山を登るのと、川に流すのに必要な魔法は違う。
ああ、そうだ。
質問の組み立てにも工夫がいる。
多分、場所をはっきりさせたあとに、「他に何かありますか?」が、英語よりも回数がいる。
速やかに話を進めるために、最初に少し時間をかける必要がある。
感情の世界から、象徴の世界にうつるために。
日本語の世界は、英語の世界よりも感情を大事にする。
けれど、自分のことを考える時、感情の奴隷になってしまう人もまた多い。
傷ついた人は、特にそうだ。
速やかに、可及的速やかに。
川の流れを堰き止める岩をどうにかする魔法。
流れる時間に逆らおうとする人の心を、未来に向ける方法。
ああ、そうだ。
ああ、そうだ。
私の頭の中に、さまざまなことが浮かび始めた。
裏のラスボスを倒す前の段階で。
そして、私は、自分が知らせてきたことに気がついた。
あと少しだ。
あと、レベルを5あげるだけ。
あと、もう少し、武器や防具を揃えるだけ。
そして、私は、ため息をついた。
このレベル5は、長くかかる。
レベル上げは最初は簡単だ。
少ない経験値ですぐにレベルがあがる。
やがて、強いモンスターを効率よく倒さないと、なかなかレベルは上がらなくなる。
そうか、強いモンスターを狙いにいったかと、私は思った。
このモンスターは、文章だ。
そして、私が倒す裏のラスボスは、自分自身だ。
やりきったというエンディングを、仲間と見る日は必ず来る。
あと、レベル5だ。
ちなみに、私がドラクエを通じてしている作業は、自分の中の小さな子供と、大人の自分に会話させる作業だろうと推測している。
小さな頃に、ドラクエで遊んだ人は使えるかもしれない。
そして、私がドラクエを一緒にして遊んだのは男の子達だったから、(近所の友達は、半分男の子。私は男の子と遊ぶ方が気楽で好きだった)、主にこれが使えるのは、おじさん達かもしれない。