日本語の効能
日本語の持つ人類に有益な効果は何だろう?
朝起きて、散歩から帰ってきてから考えはじめた。
突然。
なんか面白かった。
それから、数人の知人友人が頭に浮かんだ。
日本語を使って、英語を話す人々だ。
正確には、日本語を英語の運用で使う人々。
おそらくは、長らく英語圏で暮らしていたか何かで、頭の中の文法は英語だと推測される。
日本語で、英語を話すと、日本語としてはストレートすぎる表現になりきつく聞こえることがある。
あれは不思議だ。
英語でならば、普通の表現で何とも感じない言い回しを、日本語にすると、心にささることがある。
逆も然りで、日本語でなら普通の表現は、それをそのまま英語にすると、あなた何が言いたいんですか?はっきり言えという感じになることがある。
その言語固有の何かが、そこにある。
日本語とは何だろう?と、私は考えた。
私にとっては、母国語。国語。日常使用する言語。生まれた時からそこにあり、この世で最初に口にした言語。
だから、その固有の効果については、深く考えたことがない。
けれど、私は気がついた。
英語で考えたり、書いたり、話したりする時、自分が少し違う考え方ができることに。
はじめは、自分は、英語のバックグラウンドや人や社会とのしがらみをもたないので、頭が自由に動くのかと思った。
しかし、どうも、そうではない感じがする。
言語そのものの影響のような気がする。
ならば、日本語にも、同じことが言えるはずだ。
日本語の持つよさはなんだろう?
日本語で物を考える時に発揮される効果は何だろう?
言葉そのものが持つよさは、何だろう?
英語の持つ効果を損なわずに、日本語の持つ効果を失わずに、両者を活かすには、どのように翻訳すればいいのだろう、と、私は、自分の能力をはるかに超えたことを考えはじめた。
そして、それから、また、7才の自分が、ニヤリと笑うのを感じ、そしてそれから、なんとなく、世界平和、と脈絡なく思った。
何なんだろう、いったい。
何を考えてるんだろう、朝から。