生きてりゃなんでもいい、そういう気分

ファンキーな副反応終了。


病院から帰ってきた後、頭の中で血が出てるんじゃないかというようなよくわからん感覚と頭痛と熱が続いたが、本当にある瞬間、ピタッと体が元に戻った。


そして、今朝、役所の人から連絡があった。ワクチン会場から、私の舌が痺れた件で報告が上がって、その後どうかの聞き取り確認だった。

役所の人からも、2回目は打たないでくれと言われて、私のワクチン話は終了。

役所の人が言うには、2回目打たないでと言われる人は、ちょいちょいいるようである。


ワクチン接種会場でも感じたけれど、役所の人、ものすごく丁寧な仕事をしているなと思った。今日の人は、派遣の人ではなかった。


あと、役所の人は、感染者の聞き取りもしている人で、どういう状況で感染が起きてるかも説明してくれた。それから、役所の人たちは、まだこの流れが続くと予想しているので、もう、秋のための今の対処を考えているということらしかった。

それは、知事が言ってることと大体同じだった。


私の現在は、数日間、気を張っていたのだろうかして、ちょっとぐたっとしているが、まあまあ元気。


不思議だったのは、しんどくて寝転んでいる間中、自分が英語を聞き、英語を読み続けていたことだった。しかも、普段より簡単に思えたし。

なんなんでしょう、一体?

やっぱり、都市伝説のようにワクチンに天才のDNAでも混じっていたか?(笑)


まあ、この際、もうなんでもええわという感じだ。

生きてりゃなんでもいいわ。


とりあえず、私はもうワクチンのことは考えなくてよくなったので、考えることが一つ減り、頭のスペースが少し増えたことはよかった。

その少し増えたスペースは、またしても英語が乗っ取ろうとしている。正確にいうならば、英語と日本語のコラボレーションが乗っ取ろうとしている。


それで私は、昨日まで、一応何かあった時のために帰ってきていた夫に「あのさあ、ちっともお金にならないことに時間を割こうと思ってるけど、いいかな?」と一応尋ねてみた。

夫は、大して興味なさそうに「ふん」と鼻だけで答えた。


ふん、と私も鼻だけで言った。


再び、お勉強シーズンの到来だ。

どっちみち、夏休みに予定はない。

人混み、行かない。

遊びに、行かない。

もう少し、お預け。


今回のスタイルは、受験生スタイル。

ひたすら英文読解、英語リスニングである。

あとは、Netflixで会話のフレーズのお勉強。

脚本家が書いてるセリフだから、英会話のテキストより文章がおしゃれ。

どうせなら、私は小洒落た英語を喋りたい。


なんにせよ、やらなきゃいけなかったけど、やらなかったことで、やる必要があることは、何十年後にでもその人を襲うのである。

だから、私はもう、ああ、過去にやっとけばよかったなとは、今後一切、思わないと決めた。


それに、ともかく、生きてりゃなんでもいいのである。


もうそういう気分。