小さな変化

記録。

日記ですから、一応、書いとこう。



あ、なるほどね。

なんか、急によくわかった、と、さっき、私は思った。


「しかし、まじでうまいな、テキサスの魔法使いは」と思いながら、録画されたセッションのビデオを見ていた時だった。


ビデオは課題だ。


短いビデオは4本あり、2本目を見たところで、私の脳が、もう無理無理、休憩して!と訴えてきたので、一旦休むことにして、立ち上がった瞬間。



私は、あ、そうか、と、脈絡なく気がついた。


目立つのが好きとか嫌いとか、そういう話ではない、と。

伝えたいか、伝えたくないかだけの話だと。


伝えたいから、伝えていたら、勝手に目立つ、そういう仕組みだと。

結果、目立った、ただそれだけ。


気にせんでええ。

目立つか目立たんかは。

やりたいこと、伝えたいことだけを気にしていたらいい。


なるほど。



私は、この前の週末、ある場所で、楽しく議論をして、ほんとにそれがあまりにも楽しくて、キャキャキャと人目は気にせずはしゃいだ。

バーチャルな外国で。


私は主に、あのね、日本語ってこんななの、私はこう考えてるの、と、自分の言葉で書き倒した。


議論は、web上だったから。

でなきゃ、無理だった。


何人か、日本語を書いてくれた人がいて、そこだけ少し心休まり、まじでありがとうと思った。

新しい小さな友情の感覚が、心に芽生えた。


そしてあとは、もはや自分の限界を超えた英語力で頑張った。


サポートしてくれる人もいた。


ギャラリーがいるのは、なんとなくわかったが、もはやどうでもよかった。

私は、今がんばらなくて、いつがんばる?という、人生にそう何回もない出来事の中にいた。


何がなんだかよくわからないが、ともかく、全力で英文を書くしかないことだけは、わかっていた。


自分で始めちゃった議論だったから。

そんな大変なことになるとは思わず、質問に答えてくれた人に、ありがとう!と返事すれば済むくらいの軽い気持ちで。


しかし、途中、魔法使いが入ってきて、それではすまなくなった。

楽しくおしゃべり、で、終わらなくなり、議論はむちゃくちゃ楽しかったけれど、私は、まもなく頭がパンクしますというところまで考えることになった。


なにしろ、英語だったから。



そして、今日、落ち着いて、さて課題でもやりましょうかねとなった。


そして、テキサスの魔法使いが「そして、次に、何が起きるの?」と、ビデオの中でクライアントに質問するのを聞いた。


その質問は、私に投げかけられたものではないが、魔法使いは、魔法使い。


魔法使いの声は危険である(笑)

白い魔法使いは、予期せぬ変化をもたらす。


ほんでまた、私、この魔法使いの英語の発音は聞き取りやすいのだ。

多分、私の知る全部の魔法使いの中で、この人の発音が、私の耳には一番聞き取りやすい。



それで私は、「すると、次に起きたことは、自分がやだなと思ってたことが、どうでもええわ、知らんがな、に変わること。なんか新しい感覚」と、日本語で答えた。


この週末で、私は、英語に日本語で答えられるという技を身につけた。

今までは、英語だったら、英語しか浮かばなかった。


どっちかひとつ。

一緒にちゃんぽんでは無理。


荒療治で、できるようになった。

むちゃくちゃ書いたのだ。

まじ、英文。

それから、日本語少し。


頭の中は、日本語と英語。

いったりきたり。



そして、私は思い出した。


かつて、遠いかつて。


この頭の使い方はしたことがある、と。

小さな頃に。

スペイン語と日本語でだが。


7才の私が、にやり、と笑った気がした。

彼女が暮らした環境と、週末に私が味わった環境は同じだったからだ。


まあ、文章やから、なんぼか楽だったけれど。多分。彼女よりは。



ともかく、また新しい感覚が訪れた。


さて、あと2本、ビデオを見よう。