受験生の夏休み

 

この夏、私は、「受験生の夏休み」を過ごしている。

どこかを受験するわけではない。

来年受けたいトレーニングがあり、それには、なめらかなリスニング&ボキャブラリーが必要なため、英文科を受験するか、海外の大学に行きたい高校三年生がするだろう暮らしをすると決めただけ。


仕事があるので、完璧にではないが。

朝から英語。昼英語。夜英語。

時間があったら英語。



そして、昨日、涙がちょちょぎれそうになった。

ある短いセッションを見ていて、単語をひとつも落とさず、聞き取れていたからだ。

前置詞も、動詞も、副詞も。形容詞も。


ただし、クライアントは、英語を第二言語で使う人で、セッションを提供していたのはアメリカ人だった。


私は、セッションを眺めながら、自分もセッション提供者のつもりで、質問を考えていた。

私の涙がちょちょぎれそうになったのは、アメリカ人がした質問と、自分が私ならこれを聞くと考えた質問が、9割同じだったからだ。


そして、そのセッションは、人の変容を生み出していたからだ。



ああ、と一息ついて、次のビデオに移った私は、ああ、と、今度は、ため息をついた。


ほとんど全く聞こえなかったからだ。

名詞しかわからなかった。


今度は、セッション提供者はイギリス人、クライアントはネイティブだった。


ああ、、、と、私は、幻の喜びを手放し、ビデオと同じ内容の対話記録を読みながら、ビデオを眺め、わからない単語に線を引いた。


クライアントが使うボキャブラリーの量が全然違った。



そして、私は、やはり、母国語の力は大きいと思った。

自由に考えられる。

細かいところまで。

言葉にともなう体験も多い。



同時に、母国語でなくても、同じように変容が起きていたことも考えた。




それは、私に、自分が今まで直感的、感覚的に感じ、そして考え続けてきたことは、方向性としてはあってるはず、きっとと告げた。


頭には、文法の違いは関係する。

思考に文法は影響する。

だから、文法は加味する必要がある。


けれど、心には文法はない。

そこにあるのは、個性だ。

もしも心が文法を持つならば、人は自分の想いに苦労しない。

文法には正解不正解がある。

心は、どのように動こうとも、そこには正解も不正解もない。



心と頭を結びつける手順と運用は、おそらくは、ユニバーサルでいいはずだ。

特に、自分くらいから後に生まれた人たちは。

ディズニー映画が、そこに存在したからだ。

そして、世界の子供たちも、ドラえもんやドラゴンボールを見ていたからだ。


今はYouTubeNetflix

世界の広い場所で、同じものが見られている。

スマホにXbox。

そこには、ほとんど、国境がない。


そして。


この一年。

世界中は、同時に、同じ事態に見舞われた。

起きた出来事や、した体験は人それぞれだが、おそらく人類史上初の出来事が、この一年起きた。



イギリスはさあ、アメリカはさあ、インドではさあ、と、ご近所の話みたいに、人々は語っていた。

今までご近所はせいぜいお隣さんの中国、韓国、台湾くらいだ。ロシア、お隣さんからはもれがちだが、ロシアもお隣さんではある。

オーストリアも。



話はそれたが、だから、手順や運用は、英語と同じでいい。

そう私は、自分の中で、自分が進む方向を再確認した。


それは、ワクチンで例えるなら、第3相まで、インターナショナルに治験が終わっているやり方。

江戸時代の鎖国状態ならともかく、日本人だけが違う反応をするとも思えない。

多人数のチームが、追求し続けてきて生まれた手順には、アジア人もその治験対象に入っていた。



ただし、言葉については、日本での治験がいる。

これはまだ、第一層が終わったか終わってないかの段階だと、私は思っている。



手順と運用はさらに学ぶ。

それを再現できる日本語をまだまだ考える。

私の方針は変わらずこれでいいと、私は思った。



もしも間違えていたら、未来で、誰かがそれはおかしいと、修正してくれるはずだから、大丈夫。


そうやって、さまざまなものは進化してきたのだから。

どうせ自分は最後までは見られない。

未来の人々に託せばいい。


よりよいものを、人をさらに豊かにするために。

世界が愛と希望と平和で満ちるように。



思考がブワッと広がって、そしてそれから、目の前に戻った私は、パソコンの動画再生で、もう一度見るのリンクをクリックした。


さっぱり何言ってるかわからなかったので、もう一度初めから見るためだ。

5回も見れば、聞こえるだろう。

5回で聞こえなきゃ、6回見ればいい。


聞こえるまで、聞けばいいだけ。


わかるまで、考えればいいだけ。



それにしても、小さな変化が起きた私の世界は、今日も非常に地味である(笑)