まもなく解消される20年のロス

 私は、朝から、日英の比較言語学の本を読んでいる。

文化と発想とレトリックという本。

英語で答えるために、日本語で考えなければならない。

今、私がしている議論は、レポートにまとめる必要がある。

他の人にわかるように。



それで、翻訳における言語の差異について書いてある章を読んでいて。



私は、ふと、私、今、21才、大学4年生、と思った。


25才から始まった私の人生やりなおしは、21才までたどり着いたと、私は気がついた。


理由は、比較言語学。


私の、卒業レポートのテーマは、「日本語と英語における沈黙の持つ意味の差について」だったということを、私は、また思い出したからだ。


私の卒業レポートは、日本語と英語の違いを調べて、言語学的に比較し、考察することだった。


私がいたのは、言語学のゼミだったから。

まじめに勉強していなかったし、クソ難しい世界的に有名な言語学者が英語で書いた本を、わかるか、こんなもんと、ぶつくさ言っていた。

いつも。


前にも書いたかもしれないけれど、担当講師の前髪が変だったことが、一番の思い出という塩梅だ。

「なんなん、あの前髪」と、クラスメイトの子とケタケタ笑ったことは、よく覚えている。


なぜ、私には、習った内容の記憶がほとんどないかといえば、私は大学に、友達に会いに行っていたからだ。

楽しかったし、みんなが大好きだった。

ほんとに。



そして、また気がついた。

今日は昼から、大学の講義スタイルで、英語で世界史を学ぶ授業に出る。

2週間前から、通いはじめた。



私、なんや、今、21才の時と同じことをやってるな、と、私は気がついた。



私は、今、英語と日本語を比較している。


沈黙を調べた時と同じように、言葉が人に与える作用について。



同じことをしてる。



私は、ほんとに学校に行かなかったので、出席日数の関係で、ほとんど全てのテストが再試から始まり、取った点数の7割しかもらえなかったが、落としたのは、ドイツ語だけだった。

成績表は、よろしくなかった。

最高70点の世界の住人だったからだ。



そして、私は思い出した。


数年前、一度、ゼミの講師に連絡を取った時のこと。


講師の先生は、私をもちろん覚えていなかったが、勉強していることを大変喜んでくれて(笑)、夢中になれることを見つけたことにも喜んでくれて、そして、質問に、丁寧に答えてくれた。


聞きたいことがあったら、またいつでも連絡してきなさいと。


この講師の先生は、私にゼミの成績でCという落第寸前の評定しかくれなかったが、沈黙の比較についてのレポートだけは、Aをくれた。


これはよく書けていた、努力も認めますと、先生は言った。



同じことをしてるね。



つまり、これはね。


私の人生に存在した、20年のロスが、まもなく解消されるということを、私が私に教えている。



私が一から育てた私は、たくさんの人に育てられるという方法を選んだ。


先生の話はまじめに聞くという方法。


友達とは、遊びの話ばかりするのではなく、勉強の話もすることを選んだ。



そして、私は気がついた。

これは、ひと粒で二度美味しい人生だと。


私の20年はロスではなく、私は、二度、違うパターンで、同じ時期を味わえたのだと。



そして、私が育てた私も、母が育てた私と同じように、二十年経つ頃には、わからん!難しい!と言いながら、英語と日本語と格闘しているこの事実。



ともかく私は理解した。


今、私がしていることは、唯一と言っていい、大学時代にまじめにした勉強と同じ内容だ。


過去の私は、自分のためにそれをした。


今、私は、どうやれば、何があれば、人の笑顔に貢献できるかを探している。

人が望むものを手に入れていくのを、人が変わることを、そおっと手伝える魔法の呪文を探している。



やっているのは同じこと。

違いはそれ。