人と人とのつながり
私はここ最近、人と人は、本当に繋がっているのだなあと、しみじみ感じる。
ウイルスの話だ。
今、私が住む地域で流行中のウイルスは、変異種だ。
どこからやってきたかがはっきりしている。私の大好きな国からだ。
確か、私の記憶では、当時その国からの入国は制限されていて、入国できた人たちも、2週間は自己隔離をせねばならないはずだった。
誰か、ほんの数人か、十数人か、ともかく決まりを守らなかったちょっとの人たち、またはビジネストラックで出入国した人達が連れてきたウイルスが、今の事態のはじまりなわけだ。
(私は現政権の最大の失策は、水際の2週間隔離を自主隔離にしたことと、ビジネストラックだと思っている。)
悪意があったわけでもなかろう。
頭が悪く、想像力が低かっただけか、待てない事情があったのだろう。
または、やっていいと言われたから商売しただけだろう。
仕方ない。
ともあれ、ここは島国だから、ほんのちょっとの人数が持ち帰ってきた変異種が、病床が足りなくなり、緊急事態宣言まで出るはめになったきっかけだ。
その間、人と人とのつながりの中で、ウイルスは広がった。
そして、病気が流行っている実感が全く伴わない人々の生活にも、影響が現れた。
人と人は繋がっている。
ほんまやなあと、私はしみじみした。
人の意識が現実を作る。
これまた、ほんまやなあと感じている。
意識の世界は多数決ではないのやな、とも実感している。
より強い意志を持ったものの意識が勝つのだなと。
そして、欲、強し。
じっとしておくという約束で入国を許可された人が、じっとしておかないには、強い意志が必要だったろう。
この後に及んで、これが病気だけの話だと信じて遊んで動き回る人にも、強い意志または他の何かが必要だろう。
私くらいまでの年齢の人には、この話は病気というよりは、社会や暮らしの話の意味合いが強いのではないかと思うが、どうもそうは理解していない人もいる節がある。
社会はどうなろうとも、自分は今、あらゆる病気にもならないし、経済が破綻しても何にも困らない、大丈夫だという信念も必要だろう。
人はいろいろだ。
ともあれ、話の発端は病気で、これは誰も悪くないと、私は今も思う。
今こういう事態になったのは政府のせいやとは思っているが、この期に及んで、まだ夏場について、選手のPCR検査の話しかせず、そこで働く国民に気を配らない人達を政権に選んだのは私達だ。
人と人の繋がりを持つのは、選手ではなく、そこで働く人たちだろうに。
そして、今は、問題を小さいうちに潰したい人達、問題をのらりくらりごまかしながら時がすぎるのを待ちたい人達よりも、問題を大きくして、酷い目にあい、それからしぶしぶ向き合いたい人たちの意識が優勢という話なのだろう。
科学は進んでも、人はそんなには進んでないのかもしれないな。
人と人のつながりも。