ありもしない心の傷(3)
*今日の話は、メンタルヘルスに関わることで、病院に通院したり、投薬治療を受けている人向けの内容ではありません。そこに該当する人には適合しない内容になります。*
癒す瞬間は心地よいから、その中毒みたいな人も、たまにはいる。
(そういう人が私のセッションに来られた時は、私はひたすら、現実の事実確認を一緒にして、認知の歪みがないかを確かめる。もしそこに誤解があれば一緒に認知の修正作業をする。メタファーもトランスも使わない。)
たとえ単なる癒し中毒でも、その人の望みが癒す作業そのものならば、それでいいのだと、今の私は思っている。
私個人的にはあまりヘルシーな感じはしないが、それは好き好きだと思っている。
人生の時間や自分のお金を何に使うかは、自由だ。
(ただし、癒し中毒の人は、同時にお金のブロックの話も好きなイメージがある。生産者のポジションではなく、消費者のポジションが好きな人のイメージがある。)
人は、心の傷があっても、生きていけるし、幸せにもなれる。
今日一日を豊かな気持ちで過ごすこともできる。
その心の傷があることで、他者に優しくなれたりすることもある。
それに、うまくいくことだけが人生の醍醐味でもないだろうと思う。
私は、誰もみな、生きたいように生きればいいと思っている。
ただ、もしも、その人が、その心の傷を癒したいのは、前に進みたいという望みや何らか今と未来に関わる望みが理由ならば、一度、確認してみて欲しい。
本当に、今現在に影響しているのは過去の出来事なのか?
それとも、今の自分の何らかなのか?
そして、自分に尋ねてみて欲しい。
自分の望みはどちらなのかを。
過去に傷ついている一日を、また一日増やすことが望みなのか?
それとも、全く新しい一日が望みなのか?
自分自身が望むことは、何よりも強い。
傷を癒すことが望みなのか?
それとも、前に進むことや他の何かが望みなのか?
そして、矛盾するようではあるが、前に進むためや何らかの望みや願いのために傷を癒したいという望みは、自然なようだが、実は条件づけがそこにある。
前に進むため、願いを叶えるためには、傷を癒す必要があるという条件だ。
これは、幸せになるために傷を癒したいも同じだ。
前に進むこと、幸せになること、何らかの願いと、過去の傷を癒すことは必ずしも結びつかない。
その人が結びつけているだけの場合が多々ある。
また、苦しいから過去の心の傷を癒したいも同じだ。
存在する苦しさは、必ずしも、過去の心の傷とは関係せず、別のものが理由の場合もあるから、ただ、今感じている苦しいがどうなればいいのかを考える方が早い場合がある。
自分が新しく過去の心の傷を生み出している場合には、特にだ。
その心の傷が、過去に由来するものなのか、今の自分が生み出しているものなのかは、本人にしかわからない。
そして、どちらであれ、今、苦しいことには変わりない。
だから、もしも、しつこい過去に由来する心の傷を抱えていて、なんとかしたいと思っている人がいたら、試しに、自分に尋ねてみてもらえればと思う。
人生は短い。
そして、今日も明日には過去になる。
過去に傷ついている過去を一日増やすかどうかは、その人の自由で、それは尊重されるべきだと思う。
ただ、セッションを提供する人は、基本的には全員、それを受ける人の幸せを願ってるはずだ。
苦しいのであれば、その人がそこから解放されることを願うはずだ。
私もそうだ。
私は、幻の傷を刻み込み、傷ついている過去を一日増やす手伝いを、もうしたくない。
治してまた新しい傷が生まれることを手伝うよりは、幸せになると決めた人を手伝いたい。
幸せになると決めることを手伝いたい。
私は、願いを生み出す手伝いがしたい。
私は、願いを叶える手伝いがしたい。
だから、もう、これは無料でいいなと思った。
さて、その心の傷は、いつできたものだろう?
心に傷をつけたのは他人か自分の外側の何かか、それとも自分だろうか?