ご飯を食べていけますか?
二日続けてつまらない話。
今日のは、身も蓋もない。
「ご飯を食べれることの重要性をなめたらあかん」と、時々思う。
危うい転職相談を受ける時。
最近、これが少し増えてきている印象がある。
何が流行っているのかは知らないが、私は正直言って、危うい印象を持っている。
私の場合、そういう人が増えれば、私の仕事は増えるので、これを書くのはやっぱりあほなのであるが、辞めた後に切羽詰まって相談に来られる方もいるので、書いてみることにした。
三か月前に来て欲しかった、と、思うことがよくあるからだ。
さて。
人は心を満たすために働いている一面はあるかもしれないが、それはどんなに大事でも、その人が一生食べていけるだけのお金を確保できていないのであれば、二番目以降の理由にしかならない。
先日、やりたい、好き、ワクワクする仕事最高!論をうさんくさいと書いた理由の一つはこれもある。
この理論は、ご飯は食べていけるという大前提の上に成り立つ。
この類の話は、だいたいは、ハイスペックなエグゼクティブ層に最初に広まり、それから庶民に降りてくる。
そもそもは、すでに、ハイスペックな人々の間で流行る。
化粧品の成分やファッションの流行と、精神的な流行は、だいたい似たような流れのような気がする。
化粧品の成分やファッションの流行は、きちんと、価格帯も庶民的になり、扱いやすくなって降りてくる。
ところが話が精神的な見えない感情の話となれば、それは別だ。
内容はそのまんま降りてくる。
そこにはご飯の確保などという夢のない話はもちろん含まれない。
どうしてか?
そんなことはできて当然だからだ。
(その世界では。でも現実には、それが大変な人は世界中にわんさかいる。)
できて当然、当たり前のことは、わざわざ書かないし取り扱わない。
面白くないし。
お客さん集まらないし。
ワクワクしないですもんね、食費の確保の話。
「食費の確保が大前提」というビジネス本が売れるわきゃない。
私でも書かない。
「やりたいことを仕事に」
「好きを仕事にする方法」
確実にこっちの方が売れる。
けれど、自分の稼ぎが、自分のご飯と直結している人にとって、一番大事なことは、ご飯分の稼ぎをまず確保することだと思われる。
なぜかはわからないが、転職相談にはある一定の割合で、まるでご飯を食べない人の計画みたいな話が存在する。
これが若い人なら、どうぞお好きにで話は済むかもしれない。
苦労も楽しかろうし、リカバリーも比較的簡単だろう。
自由に夢を追いかけていけばいいかもしれない。
けれど、ある程度、年齢を重ねて、ある程度のキャリアをすでに持つ人は、会社都合ではなく自分の希望での転職であれば、ほんとに、よく考えて、きちんと計画を立ててから転職されることをおすすめする。
特に長い間会社員で来た人がフリーランスになろうとする時、このご飯の話がすっぱ抜けていることが多いので、よくよく検討されることをおすすめする。
おそらくは、社会人として過ごした時間に受け取ってきたのが給与だったことと関係してるのではないかと推測している。
また、営業系でない仕事をしてこられた方に多い印象がある。
毎月口座に自動的に入金があることに慣れていて、お金をあまり意識しないでこれたことが、ご飯の話が抜ける理由ではないかと思う。
しかしながら、ご飯の確保程度の経済観念が抜ける状態であれば、ほんとは、あんまりフリーランスには向いてないかもしれない。
そのやりたいことは、本当に仕事でなければならないのか?
趣味ではダメなのか?
今、ただ疲れているだけではないのか?
そして、今から三年、無収入でも大丈夫な状態があるか?
失敗してもリカバリーできる状態はあるか?
日本社会は、キャリアを持たない人の中年以降の就職は非常に厳しい。
間があくと、なお厳しい。
話は現実の中で起きる。
夢だけではどうにもならない。
イメージしてワクワクするだけでは、仕事にならない。
仕事は生み出す必要がある。
仕事は、与えられない。
ご飯が確保できていたから、それはワクワクできた話なのであれば、最優先は、ご飯の確保の計画だ。
手放してしまう前に、もう一度、よく考えてみることをおすすめする。
積み重ねたキャリアと、ワクワクを、よく天秤にかけてみることをおすすめする。
今までを活かした次のキャリアではなく、全く新しいことを一から始めようとする人にはさらによく考えてみることをおすすめする。
安定を手放す価値がそこにあるかを。
長らく会社員が続けられた人が重視する価値観の中には、安定が入っているはずだからだ。
そして、私は言いたいのだが、どんなに好きで、どんなにやりたいことでも、それを続ければ必ずそれが普通になる日は来る。
何をやるかではなく、どのようにやるかがポイントになっている場合も多々ある。
本当にその人がワクワクしていないのは、仕事なのか、それとも別のものなのかを、見極める必要がある。