戦争中、どう過ごしましたか?
まだ子供だった頃、「戦争中、どうやって過ごしていたかをお年寄りに聞いてくる」という宿題が出たことがある。
私は身近なお年寄りの祖父母に、電話して尋ねた。
田舎の祖父を除く3人。
田舎の祖父に尋ねなかったのは、祖父は語りたがらなかったからだ。
彼は戦地に行った。
残り3人。
田舎の祖母は「小さな楽しみを探すようにしよったねえ」と言った。
日々の中にある小さな面白いこと、小さな嬉しいこと、そういうのを探したと。
大阪の祖母は「空襲警報が鳴ると、防空壕にあんたのお父さんを抱えてな」と防空壕の中の話をしてくれた。
「お父さんが泣かんように、砂糖水を一緒に持っていってな」と祖母の声はあっけらかんと笑っていた。
祖母の話は主に、小さな父をいかに大人しくさせるかが大変だったという話だった。
大阪の祖父の話は、アドベンチャーだった。
活き活きと生きる若い祖父がいた。
「あのおっさんの話は、どこまでほんまかわからんから適当に聞いときや」と、父が言った。
そもそも祖父の話は、憲兵さんから逃げるためにトラックに乗って逃げたなどの話だった。
私はゲラゲラ笑いながら話を聞いたが、宿題にそれを書いたらあかんということは、まだ不謹慎という言葉を知らなかった子供と言えどもわかった。
それで私は、祖母2人の話を書いた。
大阪の祖母は、なんとも面白そうに防空壕の話をしていたが、私は、先生はこれを期待しているだろうと「とても怖かったそうです」と祖母が言わなかったことを付け加えた。
最近、母がよく、「できないことを嘆くのではなく、できる楽しいことを探すのよ。そうしていれば、時間は経つから」と言う。
彼女は、田舎の祖母の娘だ。
似たようなことを言うものだ。