ありもしない心の傷(2)

 *今日の話は、メンタルヘルスに関わることで、病院に通院したり、投薬治療を受けている人向けの内容ではありません。そこに該当する人には適合しない内容になります。*


実際、セッションで、本当に、まだ、それは心の傷として残っているかを確認していくと、実は、その傷はとっくに癒えていて、別の何かが今には影響していることに気づかれることも少なくない。


本人が、過去の心の傷が原因だと信じ続ける時、たまたまラッキーな偶然の何かがない場合は、その別の何かには光が当たらない。


人の心は、自分が見たいものに光を当てる。


そして、時にはたまたまその何かに気づきそうになっても、それがその人にとって不都合な事実であれば、人はそれを排除する。

(例えば、それは、今の自分自身の何らかが理由で起きている場合で、その人が変わりたくない時など。)


そして、意図せずして、心の傷を、自分が自分に刻みこみ続けることになり、くるくる同じ場所を回り続けることになることがある。



それが自分にはわかりにくい理由のひとつは、起きる出来事や生まれる感情が、心に傷がある時に起きそうなことだからだ。


けれど、実は原因はそうじゃないということは、たくさんある。

そして理由を見誤っているのが原因で、抱えているテーマや問題が長きに渡り解決しなかったり、進みたい方向に進めなかったりすることも、経験的には、非常によく見る。


少し前に書いたお金のブロックの話もそうなのだが、本人が、うまくいかないのはこれが理由だと信じることが、その理由でないことは多々ある。

(だから私の仕事があるのでもあるが。お金に関しては、ほとんどの場合、知恵と知識が足りないのと行動が理由。)



そして、ぶっちゃけていうと、実際のところ、うまくいかないことをうまくいくようにするには、うまくいかない理由は、あまり大きな問題じゃないこともある。

苦しみから解き放たれるには、苦しみそのものの理由を見る必要はない場合もある。



そういうわけで、やり方にもよるだろうが、癒すつもりの作業が、逆の作用を生んでいる場合がある。


これは、施術を提供する側には責任はない。

傷は確かにそこにあるから、癒す施術提供者にはわからない。

それが、新しい過去の傷なのか、それとも、本当に、まだ癒えていない過去の傷なのか、本人にすら、見分けられないから、本当は癒えている傷がまだあると、本人も信じて、新しい傷を作るのだから。



つづく。