ドラマチックにするために

棚卸ししていく中、24歳の春から25歳にかけての時期が、まあドラマチック、、、と改めて思った。

24歳の春。

私は結婚した。
ウェディングドレスは、白のサテンでシンプルなものを購入した。
レンタルは嫌だった。
だれかが着たものは着たくない、と、23歳の私は言った。
(ドレスはレンタルすべきである、と、離婚した時、思った。ドレスの処分で一悶着、あったからだ。)

ドレスは後から、赤ちゃんのおくるみにリフォームしようと思っていた。
その頃、創刊されたばかりの今でもCMがあるブライダル雑誌で読んだのだ。

今では当たり前だが、当時はまだ珍しかったハウスウェディングの会場で、人前式を選んだ。
メニューも席札も招待状も自分で作って、進行も自分で考えた。
友達はまだほとんど全員独身だったから、小さな花をたくさん束ねたブーケを作ってもらって、ブーケトスは10個投げた。
お色直しは、ヘアチェンジだけにしてもらった。
ラウンドテーブルは、ドラジェを配った。

新婚旅行は、バリ島で、高級リゾートヴィラに泊まった。
新婚旅行は、相手のご両親からのプレゼントだった。
全部、さらの洋服を持って。
部屋には、猫足のお風呂とスパセット、庭、海の見えるプライベートプールがあった。

ピザの美味しいところで、私はピザとウエルカムフルーツに置いてあった、パッションフルーツばかり食べていた。
3日目には、部屋に置かれていたフルーツのかごには、パッションフルーツが山盛りにされていた。


住む家は、相手のご両親が買ってくれたマンションだった。
同じ年の相手は、毎月40万円、現金で持って帰ってきた。
ボーナスは別だ。

私は働く必要は全くなかったが、週3日、夜、ラウンジで弾き語りをする仕事だけは続けた。
それが、唯一、私が、人生の中で、自らがやりたいと望んだ、「好きな」「やりたい」仕事だった。

結婚するまで、それだけでは食べていけなかったので、昼間は別のバイトをしていた。
収入は、月30万円くらいあって、困っていなかったから、私は、相手の持って帰ってくる金額が20代にしては多いことには気がつかなかった。

学生時代から20万円近くは、自分でもブライダルのアルバイトで稼いでいたのだ。

感謝の気持ちはわかなかった。


そして、金銭的に何の不自由ない生活が始まり、好きなやりたい仕事だけをし、好きな化粧品を買い集め、好きな食器や好きな家具、母がもたせてくれた新品のピアノに囲まれて、まさに人生薔薇色の日々が始まった。
小さな違和感は、日々あったが、まあ、こんなもんだろうと思っていた。

私は昼間は、ピアノを弾いて過ごした。


そして、数ヶ月後、異変は起きた。

左手が痺れはじめた。
やがて、それは激しい痛みに変わり、椅子にも座れなくなり、左手の握力はほとんどなくなり、お鍋の蓋すら持てなくなった。

もちろん、ピアノは弾けない。
仕事はできない。

病院に通いながら、私は、家で自分を哀れんで泣き暮らした。
かわいそうな私。
大好きなものを、奪われた。


その数ヶ月後、9月に、祖父が亡くなった。
実家との関係性が悪かった自分にとって、当時、唯一の心の拠り所だった。
祖父に愛されているということが、私を支えていた。


ピアノと祖父。
自分のアイデンティティを構築していた2つを、ほとんど一気に私は失った。


その2ヶ月後、私と世界の間には、一枚の膜が張った。
薄い透明の膜の向こうに、自分以外の全てがあるような気がした。

あの日は覚えている。
突然だった。

突然、私は、何も感じなくなった。
悲しみも喜びも。
何もする気が無くなった。

そして、やがて、体が全く動かなくなった。
私は、自分の中が、空洞になったような気がした。



ようするに、と今の私は思った。

あそこで起きたのは、人生の絶頂での、自己アイデンティティの崩壊だった。

自分でないものを、自己アイデンティティの中心に置いていたために、それらを一気に失って、どうしようもなくなったのだろう。

そして、まだ若い。

私はどちらかといえば、タフだ。
ただし、喜怒哀楽は非常にはっきりしている。

ひとつだけなら、耐え切れたかもしれないが、喪う悲しみがふたつ一気で、心が対応しきれなかったのだろう。

そして、私は絶望を知った。


いずれにしても、その自己アイデンティティは、いつか崩れるしかない種類のものだ。
自分でないものを、自分の存在理由の主軸におけば、いつか、それは必ず崩れる。

誰かに愛される自分、や、仕事ができる自分、という存在理由は、最も危うい。
どちらも、簡単に失える。

しかし、そんなこと、24歳の私は知る由もなかった。



さて。
最近、ふと、思い出したことがある。

21歳の私のことだ。
就職しなさいと言われていた頃。

就きたい職業はいわゆる会社にはなかった。
ピアノでご飯を食べたかったが、水商売はだめだ、と両親は反対していた。

私はなんとなく考えた。
自分は本を書きたいような気がするわ。

でも、私の人生は、あまりにも平凡で、書くことがないわ。

もっと、人生がドラマチックだったらいいのに。



....。

もしかして。

もしかして。

もしかして。


21歳の私の願いが、全てを引き起こしたのではあるまいな?!

私は、私の願いを叶えるべく、同時期に、いろいろとまとめてきたのではあるまいな?!と。

私は、望みを叶えることには素直だ。
私なら、やりかねない。

もしかして、、、、と、私は考えた。

ドラマチックにするために?