長い長い旅の終わりと長い長い旅の途中と長い長い旅の始まり

そろそろ、今年も終わる。
カレンダーの一年の始まりは、人間が勝手に決めたもの。
世界中が、同じ時期を一年の終わりにしているわけでもなく、暦の異なる国では、違う時期が一年の始まりや終わりだったりするけれど。
コンピューターを使う国は、どこも西暦で動いているから、まあ、ほとんどの国で、今は一年の終わりの時期ということになるのだろう。

私の「今年」も1月から12月の1年だ。
私は、誕生日も1月なので、本当に12月は一年の終わりという感じ。

不思議なもので、12月になると、今年一年を振り返ってみたい気分になる。
人間というものは、どこかで区切りをつけながら、確認しながら進みたいものなのかもしれない。
今、自分はどこにいるか?

本当の終わりは、個人個人異なる時にやってくるし、その終わりがいつなのかは誰も知らないから、今、が全部の行程の中のどのあたりにあるかは分かりようもないのだけれど。

それでも、今、自分はどこにいるか?を時々、確認したくなる。

それで、確認してみたら、今、私は、長い長い旅の終わりと長い長い旅の途中と長い長い旅の始まりにいる、と感じた。
終わりで途中で始まり。

なんだよ、そりゃ、という感じ。

本当に、今日、長い長い時間、一人で抱え続けたあることを肩から下ろした。
今後は、人と分かち合うことにしようと決めたことがあり、そして、そう思ってすぐに、私は、分かち合う場所を決めたのだった。
それは、もう数年前から、私が手を伸ばせばいつでも触れることができる距離に存在していたけれど、私はなかなかそこに手を伸ばす気にはならなかった。

一人で抱えていたかったのだ。
とても大事なものだったから。
それは、小学生の頃に始まったことで、自然に私の中で育まれていったこと。

自分の中で、それが本当に揺るぎないものだと、今年、私は何度か確認した。
自分の行動の全てが、それを源としてると感じることがあり、それが確認できた後、楽になりたいな・・・と思った。

そして、一つの長い長い旅が終わった。
一人で向き合うという旅。


途中にある長い長い旅は、少なくともあと20年くらいは終わらないのではないかという旅。
こちらの旅は、最初から仲間にあふれている。
和気藹々と進む旅。
終わりを考えるとうんざりするくらい遠い場所に終わりはある気がするので、基本、3年先までしか考えないことにしている。
3年先を考えるのは、いつでも私の仕事だ。
3年間でできそうな小さなことを思いつくのが私の仕事。
それから、今、できること。
小さな小さな子供の遊びみたいなことをする旅。


今、始まった旅には、まだ形がない。
旅の始まりの気配だけを、私は感じている。
それは、もしかしたら、時代という旅かもしれない。
新しい時代の息吹にワクワクしている。
待って待って待った時代が、やがて程なくやってくる気がする。

そんな年の終わり。