ドラマチック-穏やか-チャレンジ

29歳の誕生日のすぐ後。

私は急いでいた。
何をか。

離婚を。


まだ離婚は決まっていなかったが、仕事は決まっていた。
私は、新卒で入ってほどなく逃げ出した会社に戻ることになっていた。
そこからやり直そうと決めたからだ。

自分は、きっと、仕事を一生懸命したり、恋をしたり、遊んだり、そういうことをもっとしないといけなかった。
私は、人生経験が足りなさすぎる。
大学を卒業したところから、やり直そう。

誰のせいでもない。
自分が悪かった。
そう思った。

その頃、まだたまに薬は飲んでいたが、私はだいたいは元気だった。
私の病気は、その頃には、季節性鬱病という病名に落ち着いていて、秋だけ注意すれば大丈夫だろうということになっていた。


それで、働き口は確保した。
新卒の時と同じように、話は1分くらいで決まった。
いいよ、ちょうど人を探していた、と社長は言った。

しかし、夫がごねて離婚がなかなか決まらなかった。
私の何がそんなにいいのか謎だった。
離婚話をはじめてから、すでに1年以上経っていた。

その頃、私の気持ちはぴくりとも揺るがなかったので、働きだしてすぐ、苗字が変わるのはごめんだった。


4月にオープンする結婚式場の担当者を社長は探していて、私は、3月から、会社に戻ることになっていた。

頼むから別れてくれと、ひと騒動あって、そして2月最終日。

私は、市役所の窓口に、離婚届けを出しに夫と2人で行った。
私は濃い赤色のレザージャケットを羽織り、紺色のスカート、ロングブーツを履いていた。

役所の人が、届けを受け取った瞬間、私は満面の笑みで、ありがとうございました!と言った。
役所の人は驚いて、「こんな明るく離婚届けを出しに来る人は珍しいですよ」と言った。

元夫は、呆れた顔で、またね、と言って去っていき、私は、戸籍の手続きが終わるのを、役所のベンチに座って待つことになった。
それは、婚姻届より時間がかかった。

私は、分籍してくれと言ったが、役所の人は、お父さんの戸籍に戻りなさい、と強く勧めた。
「あなたはきっと、また結婚する。
あなたはまだ若いし、お父さんの戸籍にいなさい。
もう一度、お父さんのところから、お嫁に行きなさい。」とその係のおばさんは強く言った。

今、考えると、そんな予言みたいなことを役所の人は言いそうにないが、たしかに、おばさんはそう言った。

それで、父の戸籍に舞い戻る手続きの間、私はベンチから人を眺めていた。

離婚は、本当にありふれたことのようで私が待つ間にも、何人かが離婚届けを出しに来た。
みんな暗い顔をしていた。

幸せになるために離婚するのに、おかしなことだ、と私は思った。
婚姻届と離婚届は全く変わらないのに。

これは今でもそう思う。

どちらも、幸せになるために、その時できる最善の選択だ。


その日、私はものすごく幸せだった。
申し訳ないが、結婚した日より幸せだった。

これで、「普通」の呪縛から自由になった!と解放感でいっぱいだった。
自分の足で歩く!と希望に満ちていた。

私が大人になる自立の第一歩を踏み出したのは、あの日だったような気がする。
自分の人生を自分で引き受ける、そう決めた。

29歳。
少し遅いスタートだった。


そして4月のある日。
その結婚式場のオープンの日の最初の披露宴で、私は仕事をしていた。
わけもわからず走り回っていた。

その日は、離婚していなければ、私の5回目の結婚記念日だった。

その日、もう一度、人生が始まった気がした。


そこから後も、ドラマチックなことはたくさんあったのだが、まだ時間が近いので、まだ書けないことの方が多い。
ブライダル業界はネタの宝庫だし、私は好きなように恋をした。
周りからどう見えていたかは知らないが、全部真剣だった。
そして、死ぬほど働いた。

そのために、離婚したのだから、そりゃそうする。

長い付き合いの専業主婦の友人2人は、私に起きることが、昼ドラより面白いと言って、毎週、「続きは?」と聞いてきた。
「どうなった?」

実際に、そんなことが現実に起きますか?という珍事がたくさん発生した。
話を聞いた彼女たちは、どんな深刻な事態にも、きゃあきゃあ笑っていた。



そして、数年後、ある時、私は思った。

もうお腹いっぱいだ。
もう、穏やかなのがいい。


そうしたら、人生はそのあたりから、色合いを変え始めた。

ドラマチックから、心温まる笑いの世界へと。



それで。

それを、自分がそう思ったから、そうなったとは、最近まで私は考えてこなかったが、昨日書いたようなことと合わせて考えると。

何が起きればいいのか?と同じくらい、どのようなことが起きればいいのか?を考えることは、特に、人生においては、大きな影響があるのではなかろうか、ということ。

人生に何が起きればいいのか?
その何かは、どのような何か、なのか?


人生の底を流れるテイストを決めているのも、また、自分ではないだろうか?


そして、それは、とても簡単に、変えられるものではないだろうか?


というわけで、私は例によって自分で実験することにした。

私はちょうど、穏やかで平和な日々に飽きてきたところである。


私、チャレンジと閃き、楽しい驚き、分かち合う喜びに満ちた日々がいいな。


さあ、書いた。
口にも出した。

私の体への指示だ。

ここからどうなるか。
観察しよう。