受容ってこれか

数年前、結婚しますと電話で、前に働いていた会社の社長に報告した。
「相手は人間か?!」社長は言い、私は、はい、一応人間で、それから日本人です、と言った。

彼が前に、君はぶっ飛んでるところがあるから、外国人くらい常識が違う人でちょうどいいのではないかと言っていたからだ。
常識が違うとお互いはっきりわかっていれば、そうもめない。
日本人同士だと常識が同じという認識があることが多いから、君のユニークさを相手が理解しない場合があるかもしれない、と。

結婚の報告を聞いた彼は、呼んでもいないのに結婚式に来ると言った。
行かなくてはいけない、と。


その頃、父も、私を結婚させたがっていた。
しつこかった。
人間なら誰でもいい、結婚しなさい、と父は言っていた。
自分達が死んだ後、私がひとりになるのが気がかりなようだった。

そして、これは前にも書いたけれど、挨拶に来た夫に父が最初に言ったのは、「この子は宇宙人だ」だった。
母は、「私はちゃんと育てた。この子がこうなのは自分の責任ではない」というようなニュアンスのことを言った。

そして、2人は夫に頭を下げた。
よろしくお願いします。

私には、差し上げますから、もう返さないで、、、と言っているみたいに見えた。

私は、あれはなんだ、とぷりぷり怒りながら帰った。


そして、結婚式の当日。

やってきた社長は、夫の手を両手で握り、深々と頭を下げた。
私は、彼があそこまで深く頭を下げるところをそれまで見たことがなかった。

よろしくお願いします、と社長は言った。


後から、社長は夫について、「あの人はいい人だ」と言った。
彼はすごく受けが広い人だね、あんまりいないよ。
あれなら、君が何をやらかしても大丈夫だろう。
大事にしなさいよ、と。

すっかり私が何かやらかす前提である。


母も、夫はいい人だと言う。
父は、夫がすごく好きだ。

友人は、夫に感謝しろ、と常々私に言い、会うと、いつもありがとうございます、と頭を下げる。


しかし。

夫の母は、私に、いつもありがとうと言う。
あの子がごめんなさいね。
あの子はなんでああなのかしら?
(自分が育てたことは、もう忘れている)


互いの身内が、互いに相手側に感謝する、おかしなことに。


そして私は。

私が夫に感謝していることは、自由を奪わなかったことでも、なんでもなく。
一番感謝していることは、私の前の結婚の話も、普通に聞いてくれることだ。

昨日は友達とこれを食べた、と私が言ったのを聞く時と同じような顔で。

実際、私にとっては、昨日食べたものも、過去の結婚も同じような話なので、夫がそれを特別扱いしないことは非常に助かる。

単なる過去だ。

ああ。過去を受容してくれてるのか、とふと思った。
または、対して興味がない。

こちらかもしれないが。

過去がなければ、今の私はいない。


最近、友人が、また夫に感謝していた。
夫がいなければ、今の私はいないという。

結婚したころ、夫は、人から感謝されたがっていた。
私と結婚したことで、夫はいろんな人から感謝されるようになった。

悪妻も時には役には立つものだ。


まあ、そして、結婚は2人だけの話ではないってことだ、と8年目に思った。