反抗期、思春期

中学生の頃だった。
絶賛反抗期、思春期真っ只中にいた私は、母と、1ヶ月口をきかなかった。

黙って見ていた父が、ある朝、キレた。
妹はすでに学校に行っていた。

キレた父は、「おまえは!」と言って、私のほっぺを叩いた。
往復で。

後にも先にも、理性派の父に叩かれたのはその時だけだ。
そういうことは、自分で飯を食えるようになってからしろ!

は?と私は思った。
自分で飯が食えるようになったら、無視していいのか?


母は、父に抱きついて止めた。

「顔はやめて!」

また、一瞬、は?と私は思った。
怒り狂った父の手は止まらず、私は何度も叩かれた。

「顔はやめて!女の子なんだから!顔は大事なのよ!」
母は叫び続けた。


は?


そこは、「やめて!」ではないのか?と私は叩かれながら思った。
なんや、顔はって。


そのあと、父は、叩いてすまん、痛かったな、と謝りにきた。
私は、「痛くない!」と意味のわからない反抗をして、部屋にあったものを手当たり次第、父に投げた。


その日、全員真剣で、すごく大変だったはずなのたが、今、私がこの日を思い出す時、どうにもこうにも笑いが止まらなくなる。


なぜだか、全員、少しずつピントがずれている気がするのだ。


そして、妹はちゃんと家にいなかった。
彼女は、通常通り、のんびりしていた。
ちなみに、彼女には反抗期がなかった。

彼女は
「だって反抗期って大変そうでしょ?
お姉ちゃん、大変そうだったから、私は大変なのは嫌だから、私はやめとこうかなって。
しんどいのいやだし。」


は?と私はまた思った。


後年、発達心理学をM先生から習っていた時に、私はこの妹の発言について考えた。

本人が、しんどいからやめとこうと思えばやめられるものなのか、思春期とは?
成長過程も選択的に選べるものなのか、自由意志で?


は?という後年に続く謎を生んで、私の反抗期は過ぎた。


ちなみに、反抗期がなかった妹だが、見たところ、特に問題はない。
自我もちゃんとある。
大絶賛反抗期を過ごした私にも、今となっては、特に問題はない。