失敗する理由

私が失敗する時の多くは、理由が同じだ。
そして、この失敗は、クリーンランゲージと出会って以降、急激に減った。

私が、自らのパターンに気がついたからだ。

それは、直接、クリーンランゲージとは関係せず、セッションの中では登場したことがないが、クリーンランゲージのセッションで行うことが、私が失敗する時のパターンを無くしたのだ。


私は現在、自分自身に問題を抱えていないが、たまに、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングのセッションをクライアントとして使う。
ビジョンをはっきりさせたい時、計画を練りたい時、自分の中の定義を変えたい時、なにかを理解したい時。
コーチングツールとして、それを使う。

自身が仕事で提供するセッションの中では、婚活とビジネス、それから人間関係の話が多いが、それは非常に良い働きをする。


自分が提供する側、提供される側、と、ともかくしょっちゅうそのセッションに触れていた数年間の後、私は、過去、時に自分が失敗してきた理由に気がついた。

私が失敗した理由は、ビジョンに評価を求めたから、または、そのビジョンを他人に譲ったからだ、と。
浮かぶビジョンは、まだ存在しない未来だ。

それは現実になるまでは、架空の話で、架空の話に評価や承認は必要なく、必要なのは、ただ、そのビジョンを共に形にしていく仲間だけだ。

また、ビジョンは、アイデアなので、それを大事に扱ってくれる人にしか話してはいけない。
人を見極める必要がある。

この2つが、うまく扱えないことがあったことが、私が失敗した理由だ。

ようは、子供だった。

思いついたことを、誰にでもオープンに話しすぎて、私は失敗した。
自分でもビジョンやアイデアの価値がよくわかっていなかったと思われる。

自分が、自分の思いつくことに対しての評価が低かったのだろう。


そうやって考えると、それらしきことは、私は、過去に何回か、人から言われていた。
ふんふん聞いていたが、理解はしていなかったと思われる。


クリーンランゲージのセッションは、ビジョンを、ファシリテーターには、現実的にそれが何を指すのかがわからない状態で行うことが可能だ。
なぜかというと、それはメタファーを使って行われるから。
理解のしようがないのだ。

最初に、状況を話す必要もない。
なんせ、いきなり、何が起きればいいのか?という質問から始まるからだ。

だから、自分1人で考えなければいけないような話にも使える。

そして、私については、この一連の流れで、思いついたことを誰かに非常に安全な状態でシェアしながら、さらに、自分でビジョンを理解し、評価し、それを受け入れやすいものに構築するという作業を行ってきたらしい。


自分が満たしたいものを、クリーンランゲージのセッションが満たしたので、私は失敗しにくくなったのだろうと思う。

ともかく、ビジョンの評価は必要だったのだ、それを、他者の手助けを得て自分で行えれば、それでよかったのだと気がついた。


だいたい、私に訪れるビジョンは、ど真ん中から来ないで、枝葉から来る傾向があるので、全体像の理解に、平均5-10年、時間がかかる。
長い時は20年くらいかかる。

最初に全体像が見えていたら、私は怯むに違いないし、全体像はいくらでも変わるものなので、それはそれでいい。
私は大きいことはしたくないので、枝葉ごとに取り組んで、後からまとめて全体のサイズを知るのでちょうどいいのだが、その枝葉が、その全体像の中心概念と繋がってるかどうかくらいは確認したい。

全体像はわからなくていい。
中心を占める概念だけは知っておきたい。
いわば、テーマ。

枝葉は、必ずしも、そのテーマと繋がっているとは限らないから、アイデアやビジョンの間に評価はしておきたい。


そのような私のわがままなニーズを、このツールは満たした。

そして、私は私のままで、何も変わらず、私のニーズはちっとも変えずに、ただ、失敗する率だけが下がった。

ビジョンとアイデアの評価がしたい。
ただし、安全な状態で。

自分が変わることなくニーズが満たされたので、またひとつできた人になる機会だけを喪失したが。

まあ、もう、40年以上変わらないものは、自分を変えるより、そこと仲良くやっていく方法を考える方が時間が有効に使えよう、、、とお気楽に考えたのだった。

できた人、すごい人になりたい、悟りたいなどの一連は、私の望みラインナップには入っていないので、そうならなくて解決できるありとあらゆる方法を、私は今後も探すだろう。


クリーンランゲージは、従来、そうならなければ解決できないと思われたことを、するすると別の方法で解決するので、面白い。

めでたし、めでたし。