中学校に変わった先生がいた。
後部ガラスに日の丸の旗のシールが貼ってある白い車に乗り、本人もたまに白いスーツを着ていたこともある国語の先生。

私は、ちょうど、昭和天皇の崩御やベルリンの壁崩壊の時期に中学生で、昭和天皇崩御の時は、もうすぐ受験だったのだが、その先生は、受験より大切だと言って、一週間、授業で君が代を取り上げた。
私は、今それやる?文法の授業をしてくれよと思ったのを覚えている。


彼は、生徒が忘れものをした時に、机の上に正座させられて出席簿で頭を叩いたりした。
周りは笑ってみていた。

男子が壁にぶつけられて、血を流していたこともあった。
あれはやりすぎ、でも、やられるやつも悪いとみんな笑った。

昭和の話だ。

今なら、存在できないタイプの先生だが、生徒たちからは嫌われてはいなかった。


その先生の授業は思想の塊だったが、自分がどう考えるか書けという作文が多かったので、私は基本的にはその人の授業やその人が作るテストは好きだった。

ある時、その先生に廊下で呼び止められた。

その日は風紀検査で、風紀検査のあとだった。
私は、みんなと同じように、少しだけ、髪の色を脱色して、少しだけ制服のベストの裾をつまんで短くしていた。
それは、その当時流行ったマンガの影響で、単なるファッションだった。
オキシドールで髪を脱色なんてことは、今はもう誰もしないだろう。

ちなみに、私は、ヤンキーではなく、非常に大人しくしている生徒だった。
親は、私がグレかかっていると判断していて、父にコンコンとグレるとその後待っている人生がどうなるか説明されていたりはしたが、自分としては、私は非常に真面目な生徒だった。

先生や世の中に反抗するのは、勝てないものと戦うバカだと思っていた。

一度だけ、ヤンキーに呼び出されて口で勝ったことがあったし、私が仲のよかった近所の友達は、ちょい悪の高校生と付き合っていたので、知り合いはいたが、私自身は大人しかった。
この人たちは、大人になったらどうするんだろう?と思っていた。

私は、ピアノを弾いたり、本を読んだりしていることを好んだ。


そんなわけで、その日、風紀検査では、もちろん私はひっかからなかった。
単なるファッションのために、わざわざ引っかかる必要がない。


その先生は、廊下で笑いながら私に言った。

おまえみたいなのが、一番、たちが悪い。
おまえ、今日も検査で引っかからなかっただろう。
おまえは成績がいいから、みんな騙されるんだよな。
頭のいい悪いのが、一番、やっかい。


私は、悪いことはしてません、と答えて笑った。


学校というものが、成績で生徒を見ている、成績で扱いが変わるということに私が気がついたのは、それから数年、高校2年生になった時だった。

その頃、遊ぶのに忙しかった私の成績は、800人中600-700番代ということになっていた。

されたことのない扱いを、当時の担任の先生から受けた。

あらまあ、と私は思った。
世の中ってこういうもんか。
薄っぺらい。

私は、同じ、なのに。


そして、人間の価値は、成績とは比例しないということを証明し、担任の先生から謝罪してもらうためだけに、勉強した。

次の高校3年生の春の実力テストで、私は800人中5番になった。
2年近く、ほとんど勉強していなかった人がいきなりそこまで上がれるテストはどうかと思うが、まあ、そうだった。


私は、テストを持っていき、先生に言った。
すると、2年生の時の担任の先生は、手のひらを返した。


先生、謝ってください。
人間の価値は成績じゃないです。
私は全く変わっていません。


いやな生徒である。
先生は、笑って謝った。
あんたはできると思っていた、と口の表面だけで先生は言った。


私、悪いし怖いよな、、、、と、そのあと何回か思った。
あの一風変わった中学校の先生は、それに気がついてたんだな、と。


そんなわけで、私は、自分が時々いい人だと言われるたびに、こそばゆい。
それは、他人が私に着せてくれた衣で、私自身の本質とは少し違う気がするからだ。

しかし、恐ろしいことには、衣は威力があり、善き人でいる努力を、ここ数年の私はしようとしている気配があることだ。

死ぬころには、衣が本質になっていることもあるのだろうか?

興味深く観察してみよう。