エビフライとスリッパ

元気になったら...離婚しよう。

あの朝、離婚に決定的な出来事が起きた。
今から20年近く前の話だ。

その朝、私は白い天井の下にあるベッドの上で目を覚ました。
頭がぼ〜っとしていた。

妹が目に入った。
私は聞いた。
「ここはどこ?」

舌がもつれて、呂律が回らなかった。

妹は言った。
「病院。」
家から15分ほどの救急病院に、私はいたらしかった。

私は言った。
「どうやって、来たの?」

救急車、と妹が言ったので、私は言った。

「覚えてないな。もったいない。
一度、救急車に乗ってみたかったのに。」


側にはどうやら妹以外もいたようで、側にいた人たちが口々に、お姉ちゃん、、、と言って、ため息をついたのが聞こえた。
これは後から散々からかわれた。

やがて、看護師さんがやってきた。

私は、相変わらず呂律の回らない舌で、
「家に帰りたい」と看護師さんに言った。
看護師さんは微笑んで、先生に聞いてくるわねと言った。


許可が出たので、夫と帰ることになったが、服を着替えていて、私は私の靴がないことに気がついた。

夫が持ってくるのを忘れたらしい。

それで、私は、病院の名前が書いてある緑のビニールのスリッパを履いて、家に帰った。

それがすごく嫌だった。
どうして、夫は、私の靴を持ってきてくれなかったのだろう?


そのあと、夫に、いつもの精神科に連れていかれた。
どうやら、私は、自殺未遂ということになっていたようだった。

精神科医が、「また、死のうとしたの?」と私に聞いた。

私は、違う、今回は違う、と言った。
私は、「しんどいから、少し長く寝ようと思って、貯めていた薬を飲んだだけ」と言った。
そしたら、死にかけちゃったみたい、と。


精神科医は、薬を貯めてたの?と聞いた。

私は、自殺の可能性があったので、薬の管理は夫がしていて、一日分ずつしか渡してもらえなかった。
家の中には、刃物が一切なく、はさみまでなかった。


精神科医は、「自分でがんばれないなら、入院させるよ?」と私を脅した。

それはいや、と私は言った。

それから、精神科医はこんこんと言った。

あのね、自殺は半分は失敗するんだよ。
薬や首つりに失敗した人の半分には、脳に後遺症が残る。
新聞には書かれないから、知られてないけどね。
君ね、それはね、地獄だよ。


私は今回は死のうとしたんじゃない、ともう一度言った。

精神科医は、
「今からが少ししんどい。
体が元気になってきてるから、動けるからね。
今までは、死にたくても動けなかったからね。
何にも考えられなかっただろうしね。
死のうとする自分と戦いなさい。
できなければ、入院させるよ。
鬱病は、治りかけがしんどいんだ。
よくなってきてるからね。」
と言った。


死のうとしたんじゃない、と私はぶつぶつ言いながら帰った。
だが、一週間前に首を吊って失敗して、精神科医に怒られたのも事実だった。
私の首には、まだ跡が残っていた。


それから、私は、スリッパのことを考えた。
そして、夫に違和感を感じた。 
元気になったら離婚しよう、と思った。

だが、精神科医から、今は大事な選択は絶対にしてはいけないと言われていたので、元気になったら、と思った。


一年半くらいあと、母がポツリとその日の話をした。


お母さんはもう、病院で膝がガタガタ震えて仕方なかったのよ。
お父さんは、「生きてるのがそんなに辛いなら、死ぬのも悪くないだろう」とか言い出すし。
殴ってやろうかと思ったわ。

お医者さんは、手遅れです、できることはないので後はご本人次第ですって言うし。

でもねえ、あなたのだんなさんはすごいわね。
眠るあなたの側で、普通にエビフライを食べてたわ。



私は、その話を聞いて、あいつ、、、エビフライは忘れなかったのに、私の靴を持ってこなかった、と思った。


そして、私は、離婚を決めた。
ひとつの理由で離婚する人はいない。

ほかにも理由はたくさんあったけど、私の離婚を決定づけたのは、エビフライとスリッパだった。


この前、今の夫にこの話をした。

だからね、もし、私が入院するようなことがあったら、私の側でエビフライは食べないで欲しいの。
そして、靴は持ってきて。


私がそういうと、夫は、笑っていた。