時間

つづき。

クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングのセッションでは、言葉を拾う。
その概念が存在する場所だ。

それで、最初に場所を探すことになったのは「時計」という言葉だった。

まず、私が驚いたのは、私は体の中に時計を持たないことだった。
私には、体内時計、が、存在しなかったのだ。
探しに探したがなかった。

こりゃだめだ、と私は言った。
ついでにカレンダーもなかった。

「時間」は場所があった。
それは眉間から生まれて、手のひらで球体になった。

そして、私は言った。
やばい、やばいよ。
時計が、球ではおかしいよ。
今、私がどうにかしたいのは、時計が表すリアルに平面的な時間の話だ。



それから、いろいろと話は進み、ようするにと私が理解したのは。

私は体の中に5つの時間を持ち、その5つはそれぞれ時間の流れるスピードが違うこと。

そして、その中にひとつ、自分がとても気に入っている時間の流れがあること。
それは生まれた時から5歳くらいまでの間に存在した時間の流れ方で、その頃、時計は人生に必要なかったこと。

それから、5つの時間を、私が最高の状態で操る時、私はジャグラーのようであること。
しかしながら、その最高の状態は、少し離れたところにあること。

5つの時間は、同時に流れていること。


セッションのあと、う〜んと私はうなり、「タイムライン」って、ひとつじゃないのね、と言った。

タイムライン。
それは比較的新しい言葉らしいが、時間軸を表している。
未来、今、過去を結ぶ。
直線とは限らないが、直線で表されることも多い。


実際のところ、人の時間の理解は様々で、ライン、線になってない人はたくさんいる。

私も、自分の中にタイム「ライン」がないことは知っていた。

だから、ラインではないけど、まあ、時間のつながり、流れという意味で。


それは、ひとりにひとつ、と私は思いこんでいた。
個人の人生の時間の流れは、ひとつ。


それが5つもあったのだ。
う〜ん。

つづく。