デイビッド・グローブがしていたのと同じ結果を得るために、デイビッドと同じことをする必要はない。デイビッドになる必要はない。

デイビッド・グローブがしていたのと同じ結果を得るために、デイビッドと同じことをする必要はない。デイビッドになる必要はない。

欲しいものは、デイビッドがクライアントにもたらしていたのと同じ結果。



これは、ジェームズやペニーが、その昔、クリーンランゲージという質問セットを生み出したデイビッド・グローブをモデリングしていた時に気づいたことです。


(彼らは、自分たちが、デイビッド・グローブをモデリングした時にした苦労を後の人にさせないために、尋常でない量の文章や動画での記録を公開しています。このくだりは、InsideCleanというシリーズの中にあるインタビューに入っています。)



この発想が、シンボリック・モデリングには割と影響しています。


先生と同じようにすることをよしとはしていません。


マリアンも私に言いました。

「あなたは、誰のコピーになる必要もない。私がジェームズの真似をしていると思う?」



私が、ジェームズやマリアンを師とし続けたのは、彼らが、クライアントの個性を尊重し続けるのと同じように、ファシリテーターである生徒の個性を尊重し続けたからです。


最初はみな同じような型の練習からスタートしますが、やがて、それぞれが、自分のスタイルでセッションしはじめます。

基本は同じ。

けれど、スタイルはいろいろ。


この様々なスタイルに、ジェームズやペニーは指導ができます。


私が彼らから学んだ、そして、学び続けている大きなことの一つは、生徒の個性を尊重しつつ、なおかつ、技術を継承していく方法です。

なぜなら、私は、日本語を使います。

彼ら、日本語を話しません!



私が10年モデリングをし続けた結果、日本語を話すファシリテーターに顕著な特徴があります。

民族性や文化、もしくは日本の教育から来ているのかもしれないなと、推測しています。


それは、「クリーンランゲージに正解がある」と思いこんでいるように見えることがあることです。

まるで、ペーパーテストのように。


質問する相手は人間です。

何が正解かなど、質問してみるまではわかりません。


そして、相手の答えと相手に起きたことのみが、その質問が正しかったかどうかを、ファシリテーターに教えてくれます。


クリーンランゲージも、シンボリック・モデリングも今日生まれたものではありません。

だから、ある程度は、いい反応が得られる可能性が高いやり方、うまくいく確率が高いやり方がわかっています。


けれど、それは、全員に当てはまるものではありません。

相手は人間だからです。


誰もそんなことになるとは思わなかった素晴らしい結果を、今日、習い始めたファシリテーターがもたらすことだってあります。


私自身も、クライアントとして経験があります。

今日、私がある理由のひとつは、私の中に咲く花です。

この花は、長い間咲けませんでした。

この花を最初に咲かしてくれたのは、シンボリック・モデリングを通じて知り合った今、私が深い信頼をおく友人の1人です。


その花を咲かせてくれたとき、彼女はまだ、習い始めて3日目くらいの初心者でした。

彼女は。そのとき、そのワークではやるなとトレーナーから指示されていたことをやりました。

そうして、彼女がした指示を破った質問がもたらした結果は、そのあと、ずっと私をサポートするリソースとして働き続けています。


先生が正しいとは限らないのです。


先生が必ずしも正しいとは限らない。

先生と生徒の違いは、ただ、生徒より経験値が高いだけ。

知識量が違うだけ。


これが、シンボリック・モデリングのトレーナーの人々ははっきりしています。


だから、ある程度、経験値を積んだら、人にシェアしてみることも、ジェームズとペニーは推奨しています。


私が自分が教えるのを10年待った理由のひとつは、時間が経たなければどうしても手に入らないリソース、うん、そうです、経験値を手に入れるには、どうしても時間が必要だったからです。


私は、日本語を話します。

日本語でクリーンランゲージやシンボリック・モデリングを使用した場合のデータは、私が日本語でそれらを使い始めたとき、まだ、ゼロに等しいものでした。


私は、日本語で開催された最初のトレーニングに参加したからです。

その2年前くらいにクリーンランゲージを知ったばかりのトレーナーの人はリスクをとり、日本にクリーンランゲージを伝える方を選ばれていました。

リスクを取っていただいたことに、感謝しています。


私は、自分で、経験値を集める必要がありました。私はリスクを避ける方を選びました。

さしあたり、トレーナーはいたからです。

正解のない実験の世界に、飛びこむ必要がありました。

私は、先に経験値を積む方を選びました。


あらゆるカウンセリングやコーチングのデータが使えないことだけはわかっていました。


例えば、「あるクライアントが左上に目線をやりなから何かを考えているとき、そこに、大きな雲が広がっている」と、解説しているような技法を、わたしは知らなかったからです。

左上に目線をやる理由を分析して、個人の振る舞いを一般化するのではなく、それぞれ個別なものだ、振る舞いが持つ意味は全員違うことにたどり着いている技法を、私は知らなかったからです。


私は自分が知っていた知識のほとんどを、手放す必要がありました。


人を何かで分析し、分類し、一般化するのではなく、個を追求することがもたらす結果、に、私は心惹かれました。


経験値を積もう、と、思いました。



さて。


結果のことを、英語では、アウトカムと言います。



私が、日本語のファシリテーターが理解できていないことが多いと感じる言葉NO.1が、アウトカムです。


カタカナ表記されるアウトカム、には、すでに、他の技法が定義づけをしています。

コーチングをする方は、そちらが頭に入っていることが多いと思います。


シンボリック・モデリングでいう、単体のアウトカムは、英単語のOutcomeです。

普通の辞書に掲載されている英単語のOutcomeの意味から、話を始める必要があると私が気づいたのは、わずか2年前のことでした。

翻訳をしていて気がつきました。

Outcomeという単語全てを、アウトカムと翻訳すると文章の意味が通らなくなることがあったからです。


最初に習う「アウトカム」の定義は、「クライアントが望む/求める/欲する結果」、つまり、Desired Outcomeの定義です。



アウトカム志向というのは、結果が全て。

どんな結果かというと、クライアントが望んでいる結果です。

シンボリック・モデリングは、その人が望んでいることの結果に光を当てていく技法です。


そこに、予定調和はありません。


望んだ結果は、望みを叶えてみなければ、わかりません。



だから。


さあ、質問してみよう。

そして、何が起きるか、みてみよう。


なのです。



春のトレーニングのテキストの最初のページに、私が選んだ言葉。


それは、この言葉でした。


さあ、質問してみよう。

そして、何が起きるか、みてみよう。



何が起きるかは、誰も知りません。


そこを予測しない。

そこを決めつけない。

そこには介入しない。

結果についてもクリーンでいる。


起きたことに「うまくいかなかった」とショックを受けたなら、それは、あなたがクライアントに起きることを、あなたの思い通りにしようと誘導しようとしたからだ、ということを、まず理解できるようになること。


先読みしないくせをつけること。


誰かの真似をする必要がないことを学ぶこと。というか、それはできないこと。


何が起きるかわからないことに慣れること。



私が、3日間で覚えて帰っていただきたい最大のものは、それかもしれません。


それは、ファシリテーターの人生も軽やかにすることがあるからです。


私が生み出したい結果のひとつは、それです。


正解を追い求める必要はないこと。

予定調和のない世界に慣れること。


すごくびっくりしてるのに、「ええ、私にはわかってましたよ」という涼しいファシリテーターの顔をしていられるようになること(笑)

クライアントはもっとびっくりしているからです。