まとまりなくいろいろ
私のメタファー・ランドスケープは、主に、音楽が作っています。
私のメタファーは、歌のタイトル、歌の歌詞から来ているものが非常に多いです。
英語でセッションを受けるとき、英語で自分の気持ちを説明する必要があるとき、私の英語力を補い続けてくれたのは、英語の歌の歌詞です。
特に助けてくれたのは、古いジャズとディズニー。
英語を話すファシリテーターも、それなら知っていることが多かったからでしょう。
私の潜在意識は、それらの中からメタファーを選び続けました。
クライアントは、いつでも、ファシリテーターに伝わるよう協力します。
クライアントが協力的でないなら、そりゃ、ラポールの構築ができていません。
ラポールの構築は、土台です。
それがあって、その上に技術です。
大事な自分の心の中を、信頼できない人に明かす人は、だいぶ珍しいのではないでしょうか。
ラポールがある感覚。
ああ、これもまた、やってみせなければならない。
誠実に、生徒と向き合おう。
温かい感覚を胸に抱いて。
さあ、私のトレーナートレーニングも大詰めです。
羊の放牧スタイルで行われてきた私のトレーナートレーニング。
羊飼いさんたちは、私が送ってくるメール、私が書く全てをチェックし、時折、ポンと質問を投げ続けてくれました。
迷子にならないように、見守り続けてくれました。
温かいウールでくるまれていたような一年間でした。
だから羊。
彼ら、ほとんど教えてくれません。
知識は教えてくれますが、彼ら、ほとんどは、自分で気づきなさいスタイル。
私が気づくのをサポートし続けてくれました。
メールを書くことが、私の主な仕事でした。
まあこれは、私の場合だけだったかもしれません。
個人個人でやり方を変えてると言っていたので。
私の英語は、文章力の方が明らかに上です。そこを考慮してくれたのかもしれません。
私が自分のトレーニングについて書き綴ってきた理由は、そうすれば、他の人が一緒にトレーニングを受けられると思ったからです。
おそらくは、彼らからトレーナートレーニングを直接受けるのは、段々、難しくなるでしょうから。
彼らの年齢が理由です。
トレーニングの内容は一人一人違っても、シンボリック・モデリングを作った彼らのスタンスは、書いておけば伝わるかもしれないと思いました。
彼らは、お金では動きません。
私、ここまで、ほとんど無料でトレーナートレーニングをしてもらっています。
彼らにとって、トレーナー資格はビジネスではありません。
彼らは技術は教えても、資格は売りません。
シンボリック・モデリングのファシリテーターにはレベル認定があります。
私も持っていますが、認定そのものについて、私には、まだ請求書が届いていません。
私は一回落ちているので、私は二回、アセスメントを受けていますが、ジェームズからも、マリアンとケイトリンからも、請求書が5年経った今、いまだ届きません。
認定証はもらってますけども。
今年、日本でアセスメントをはじめる人々も、まだ金額設定ができていません。
みんなわからないのです。
いくらにすればいいのか。
アセスメントが独立しているのは、日本だけではないかと思います。
人が足りなければ、私もアセッサーをやりますが、アセッサーが独立していれば、誰でもシンボリック・モデリングを教えやすくなります。
難しいのは教えることじゃなく、アセスメントですから。
教えるのはシェアするだけですから。
テキストさえあれば、教えられる人はいくらでも出てくるでしょう。
だから、私は、テキスト作りに燃えています。
好きに使ってくれたらいいのです。
翻訳さえしておけば、あとは、その人にやる気があればなんとでもなるでしょう。
一番必要なのはやる気かと。
私がシンボリック・モデリングのトレーナーのみなさんや、羊飼いの彼らを信頼し続けた理由の一つは、技術に対する彼らの敬意の払い方にもあります。
お金じゃない。
非常にある意味シビアな、けれどハートフルな技術者集団。
その片隅にいられることに感謝します。
さあ、あと少し。
もしくは、ようやくスタートライン。