願いや求める結果もまた、願う時点では企画だなあと思いました。 こういう結果が欲しい、という企画。

 

なんだか、急に、私の頭が整理されはじめました。

自分が何を始めようとしているかについてです。


企画を立てる時点では、それは企画で、一緒に関わってくれる人が決まったり、場所が決まったり、モノが姿を表しはじめたりする内に、段々姿を表す考えがあったりします。



そして今朝、願いや求める結果もまた、願う時点では企画だなあと思いました。


こういう結果が欲しい、という企画。



私はたまに、セッションで企画を作るお手伝いをしていたりもします。

もともと、私ひとりしか人員はいませんしたが、私は、経営企画室におりました。

企画を立てるのは、私の仕事のひとつでした。

まあ今もやりますから、仕事のひとつです。

中小企業の経営者や個人事業者、フリーランスの方などがお相手です。

これは、ブレーン的な部分もあるので、全部をクリーンランゲージではやりません。

しかし、情報やニーズの聞き取りの部分は、クリーンランゲージの質問や、シンボリック・モデリングのモデルを使います。


企画を立てる時は、メタファーはほんの少ししか使いません。

キーになるメタファーだけは作るのをファシリテーションします。

企画者が他者に企画を説明するとき、企画を売るときに、メタファーは非常に効果的だからです。

これは、普通にCMなどで誰もが目にしています。

メタファーを使わない広告はほとんどありませんので。



さて。

私が働いていたのは、アルバイトさんはたくさんいましたが、社員は100人に満たない小さな会社でした。

私は、営業部と本社の経営企画室の2箇所に所属する西日本エリアの副支社長でした。


スーツを着て、ハイヒールを履いて、移動しまくっていました。

今では信じられませんけど、そんな日々がありました。


経営企画室のからくりは、何かをするときに上司のハンコがいらないことでした。

営業部で何かをしようとするならば、私は支社長や専務のハンコをもらう必要がありました。

しかし、経営企画室での私の肩書きは次長でしたが、上には社長しかいませんでした。


社長と私の考えは近かったので、数字の資料さえ用意すれば、社長が私の企画にNOを出すことはありませんでした。

経営企画室のメンバーは、社長と私だけでした。

自由にやっていい場所を彼は用意してくれたのです。

同時に、自分がOKを出していると誰にもわかるようにしてくれたのです。


組織図や肩書きもまた抽象概念のメタファーだなと、今、思いました。

私の名前についた属性のオプションは、確かに私に力をくれました。


しかし、社長がどうしてもYESと言わなかった企画があり、それで、私はそれをどうしてもやりだかったので会社を辞めました。

社長は誰よりも応援してくれたし、いろいろ仕事をくれて助けてくれました。

そして、それから、もう15年経ちました。

今でも年に一回くらいは、社長とメールのやり取りがあります。



私のこの10年くらいの動きは、その会社で学んだ、自分の企画がうまくいくとき・いかないときのパターンが影響していたことに、先程、気づきました。


そして、頭が整理されたのです。


明らかなパターンがあると気づいたからです。


うまくいくときは、私が自由を感じているとき。

うまくいかないときは、私が不自由さを感じているとき。


外側ではなく私の内側に、パターンは存在していました。

そして、その内側が企画達成に大きな影響を持っていました。



私の中でこのパターンをはっきり言語化ができたのは今ですが、会社と私がこの数年いた環境には大きな差がありました。

観察力に秀でた人たちが揃っている環境に、私はいました。


でも、私自身も、口にし続けていました。

自由、自由、自由、自由。


その自由が何を意味していたのか、なんのための自由だったのかに、私は今気づきました。


今からのため。

今からやることのリソース、それが自由。


....


私が今朝気づいたのは、私は数年がかりで企画書を書いたということ。

全てメタファーの状態で。


私だけでなく、他にもこういう人はいます。

望みが最初からメタファーで表現され、頭が何が望みかを理解しないまま、望みを叶え続けていく人。


望みの秘密保持には、メタファーは最適です。


私がクリーンランゲージやシンボリック・モデリングが好きな理由のひとつは、いきなりメタファーで話すことができるからです。



「あなたは何が起きてくれたら好いのでしょう?」という質問に対する答えは、ファシリテーターにわかる言葉である必要がありません。


「鈴がちりんちりんなるんです。その鈴がどこにあるか知りたい」というような、「は?」という内容の話からでも、セッションは始められます。


クライアントは、大人ですから、ペラペラ話せる悩みや望みばかりでもありません。

わかりもせんことに共感されるふりをしてもらう必要もない場合もあります。


またファシリテーター側は対応できる話の幅が広がります。

想像もつかない環境でおきる話にも、メタファーでならば対応できます。


.....


ともあれ、私は秘密にしてきた企画を、今度は誰にもわかるようにオープンにしていくつもりなのでしょう。


つまり、私は自由を感じているのです。


この数年で、もう誰にも奪えない確固たる自由が私の中で、メタファー・ランドスケープとして展開し、成熟したのだろうと思います。


私、ひとりでは無理でした。

たくさんのファシリテーターの手によって、私のランドスケープは豊かに展開しました。


私が欲しい自由は、ひとりの自由ではなく、たくさんの人の中にいても、たとえ不自由な環境の中でも揺るがない自由だったからだと思います。


社会と、チームと、たくさんの人と、私は関わろうとしているのでしょう。

ここはまだ、頭はピンと来ていませんが、私の体は動いているのでそうだと推測します。


(私の体は、ある時点までは、頭に情報を渡しません。2016年からです。潜在意識優位で生きるというやや変わった方法で、私の人生は運営されています。

これは、10分で生まれた変化で、それから8年持続しています。どこかに書いています。)


.....


そして、私は、今、静かに気づいた。


クリーンランゲージがもたらす気づきは、現実の日常の中で、ひとり静かに訪れることが多いです。

メタファーを身体化してあるので、そうなるのだろうと思います。

体にメタファーを連携させてあるといえばいいのか。


そして気づいたとき、それはすでに日常に溶け込んでいるので違和感なく静か。

淡々とした気づき。




長くなりましたが、今日はこんな感じのはじまり。