普段、自分がやっていることは、深いプールの中に飛び込んで、潜って泳ぐみたいで、クタクタになる。 それがシンボリック・モデリングには全くなかった。 こんなに楽でいいのかと思った。

私がすごく共感した言葉があります。


それは、2016年にカリフォルニアで開かれたシンボリック・モデリングのワークショップに参加したときのこと。


その年のプログラムは、三部構成でした。

最初の2日間は、シンボリック・モデリング・ライト(Symbolic Modelling Lite)という2011年以降、ペニーとジェームズが使用しているモデルを使った初心者トレーニング。


次の3日間は、PROモデルについて。

アドバンストレーニングでした。

3日目は、いくつかのグループにわかれて、別々のテーマに取り組みました。

私は、クリーンインタビューのグループに参加しました。

クリーンインタビューは、日常使用を目的としたクリーンランゲージの質問です。

私は、日常で使用できる文脈的にクリーンな質問に興味があったからです。


その後、3日間は、リトリートでした。

参加者はクライアントとなり、セッションを受けながら自分について探求します。



そのプログラムに参加していた人の中に、刑務所でカウンセリングをしているカウンセラーさんが混じっていました。


その人が、どこかのタイミングの振り返りで口にした言葉に、私は、深く共感したのです。

それは、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングに出会うまで、私自身が体験していたことと同じだったからです。


その人はこんな感じのことを言いました。


「普段、自分がやっていることは、深いプールの中に飛び込んで、潜って泳ぐみたいで、クタクタになる。

それがシンボリック・モデリングには全くなかった。

こんなに楽でいいのかと思った。」



わかる!と、私は思いました。

私もそうだったからです。


要約を使おうとするなら、相手に深く入らなければ、うまい要約ができません。

ある程度は、リーディングをする必要があります。

でなければ、無理だと思います。


そうして、私は、くたくたになっていたからです。

他人の相談に乗ることをプロとして仕事にしていて、なおかつ、ある程度長い期間それが続けられている人からは、この「心の疲労」はよく聞く話でもありました。


対人支援を仕事にする人が、どんどん潰れて、心を病む現実も知っていました。

今もだと思います。


それを、ストレス解消や自分の人間性を高めるという、「対処療法」でなんとかするというのが、クリーンランゲージに出会うまでの私が知っていた一般的なやり方でした。


私もそうしていましたが、追いつかないというのが正直なところでした。

それで、当時、私は、一日に受ける相談の数を制限していました。

そうしなければ、自分が持たなかったからです。


私は街の中で、ハードルを低くして、ジャンルを絞らず人の相談を受ける道を選びました。

使用していた技術は、来談者中心のもの。

私は資格を取らなかったため、カウンセリングという言葉は使いませんでした。

しかし、私が何をしているか気づく人は気付きました。

私のところには、気づいた人が口コミで連れてくる正規のカウンセリングは高額で受けれない人たちがよくやってきました。


当時、カウンセリングには、一切、健康保険が適用されていなかったからです。

現在は、適用されているのを知っているため、カウンセリング領域については、リワークプログラムから脱落した人以外は、病院を勧めています。医師と連携できた方がいいと、私個人は考えるからです。

私は、コーチングにあたる領域をやります。


ともかく、だから、私はメンテナンスを自分でする必要があり、自分をカウンセリングしてくれる上司や先生がいなかったからです。



しかし、ジレンマもありました。

明らかに、自分は人の役に立てるスキルを持っているのに、そのために学んだのに、制限をかける必要がある、全力では仕事ができないというジレンマです。


こんなに使用者が疲れていくなら、技術そのものに何かかがあると考えるのが自然ではないのか?と、当時、私は考えていました。


私は、フロイトもユングも好きです。

ユングは大好きです。

ですが、彼らのことを読んでいると、明らかに、彼ら、病んでいるように、私には思えました。


そこを起源とする全て。


助ける人が大変であることが前提にあるのはおかしいんちゃうか?

そうすると、地球におけるしんどい人の数は減らず、むしろ増えていく計算になる。

何かがおかしい気がする。


潰れていくカウンセラー、学校の先生、福祉関係者。

何かがおかしい。


アカデミックな場所から遠くにいた私は、自由に考えることができました。



そうして、クリーンランゲージのスタンスに出会ったとき、これだ!と、私は思いました。


今、ペニーとジェームズは、ウクライナの人たちをサポートし続けています。

公開されるセッション記録で、クライアントが持ち込む内容はヘビーもヘビーです。


けれど、彼らは潰れていない。

疲れ果てている様子もない。

いつもの彼らのままです。



知覚空間を使用する技法、メタファーを使う技法は多々あります。

その使い方が、クリーンランゲージを使う技法は、他と異なります。

私が知る限り。


知覚空間の場所に、クリーンランゲージが施術側を疲れさせないポイントがあります。

メタファーやシンボルの使い方も異なります。


知覚空間の場所をどこにおくかで、プールに飛びこむ必要があるかないかが変わります。


施術側の心をこんなに守ってくれる技法を、私は他に知りません。



と、同時に、プールに飛び込んで行こうとするのをやめるのは、最初、初心者さんが苦心する部分でもあるのは、たくさん見てきました。

カウンセリングやセラピー、コーチングやセッションなど、技術として話を聞いたことがある経験を持たない人は、特に苦心するようでした。

私が観察する限り、そこには、プールに飛び込みたいという願いが存在するように見えました。

それは、経験をもたず、泥だらけのプールに飛び込んだことがないからだろうと推測しています。



トレーニングする側が、そこからやらないといけないのは、日本の特徴かもしれません。



ともあれ、こういう一面も、クリーンランゲージにはあります。


というのが、今日の話。


だれか、国家資格の有資格者の人にシンボリック・モデリングを手渡したいというのが、私が自分の解釈だけを書かずに、翻訳を続ける理由の一つでもあります。

そして、翻訳する際に、できるだけ、心理学用語は、心理学用語のままで翻訳しようとする理由です。


心理学の知識がない人には噛み砕いた方がわかりやすいことはわかっていますが、著者が専門用語を残したところは、著者の意図そのままを伝えることが私の仕事だと考えています。