Eternal Life : 永遠の命
たまに、「なぜ、これがこれと関係していたのか?」と自分でも不思議に感じるような繋がりが、自分の中や他人の中にあるのを見つけて驚くことがある。
そして、その繋がりは、深い深い場所にあって、それが自分でも思わぬところにまで影響していること。
自分のさまざまな選択の根っこにそれが横たわっていること。
知識としては、よくよく知っていても、それが目の前に登場すると、やはり私は驚く。
それが、子供時代に読んだ本だったり、それがもう何十年も前のことだったりするから。
そんなわけで、私が最近驚いたのは、祖父の死が私に与えたインパクトの大きさだ。
それをきっかけに、私の今につながる話は始まっていて、そりゃインパクトの大きさはよく把握していたつもりだった。
つもり、だった。
その数年後、今度はM先生が死んだ。
私の対人関係や社会活動に関わる全ての選択に、それが関係していると、私は気づいていなかった。
多分、誰も気づいていなかっただろう。
わかるわけがない。
しかし、それは、ありとあらゆる私の選択に関係していた。
そして、それは、周りで誰かが死ぬたびに、強化されていた。
無力感や恐怖の強化だ。
私が気づくその扉を開いたのは、昨年、秋、たった一つの質問だ。
「その無力感はどこにある?」
ひょんなことから表に現れたそれの場所を、その人は問いかけた。
そして、最近のある夜、その質問を私に問いかけた人が、また問いかけた。
話は別のことだったのだが、流れが生まれた。
それは、私が問いかけた質問に対する返事だった。
「あなた達は、いつまで教え続けますか?」
彼はひと息ついて、私に問いかけた。
「それで、君はいつまで生き続けるの?」
もはや禅問答の世界である。
私は答えた。
「生きる限り、生きる」
彼は笑って言った。
「同じだよ。できる限り」
そこから、私が恐れたものの正体を、私の口は勝手に話しはじめた。
私の口は、英語でペラペラそれを説明した。
何をあほなと頭は思うが、私は、クリーンランゲージを手放すかどうか、考えていたらしいのだ。
何をあほな。ありえない。
しかし、考えていたらしいのだ。
実際、体調が悪かったのもあるが、私の動きは、三週間ほど見事に止まっていた。
私には、その理由は分からなかった。
どういう思考かと思うけれど、私の深いところが、私にストップをかけた。
理由がわからなかったので、私は混乱していた。
なぜなら、全て、本当に順調だったからだ。
私の口は言った。
「一歩、踏み出せば、おそらく、私は命ある限り、これを続ける。そうしたら、いつか、私は、あなた達が死ぬのを知ることになる。私が今やめれば、私は、あなた達の死を知らなくてすむ。私は、あなた達の死を知りたくない」
だから、やめるの?
どういう思考?
トラウマ、おそるべし。
そういうもんだと知ってはいても、いざ現れると、どういう仕組みかと、私は驚いた。
存在しもしない限界や壁(メタファー)まで、私の体は、わざわざ生み出して、私を止めたのだ。
いろいろこじつけて。
私が、自分の恐怖を眺めて、「でも、これは愛なんだ。私がその人たちを愛したから、私は悲しかったんだ。そして、これは、恐怖でもあるけど、私の強さでもあるんだ。これは、力。恐怖だけど、力。私は、人間が大好き」そう言ったあと。
私は、笑いだした。
「限界も壁もそもそもない。私の目の前には壁はない。それは、私の物語じゃない幻だった」
なんのこっちゃら、ともかく、そうなった。
そして、私はゲラゲラ笑った。
後から、「問題の底には、美しい構造が横たわっている」は本当だね、デイビッド!と思った。
私の恐怖は、私の愛。
イコールだ。
だから、私は、恐怖は残したままにしておくことにした。
別の形にして。
私の選択を邪魔しなきゃ、問題ではないからだ。
私が気付けば、もう、邪魔できない。
むしろ、私を邪魔したくないから、今、浮上してくれたと考える方がわかりやすい。
さあ、前に進もう、一緒にね、と。
それは、そもそも、大好きだったおじいちゃんが私に教えたこの世の恐怖だ。
そして、私に希望を見せたM先生が強化したこの世の恐怖だ。
たくさんの愛と一緒に。
そこから、私は、延々と、「なぜに、自分がシンボリック・モデリングが好きなのか、その理由は、望んでいるアウトカムの存在だ」と語った。
よくわからない流れだった。
それは、人に生きる希望を与えるからと。
希望があれば、人は生きていけるからと。
そして、最後に、私は言った。
「長生きしてくださいね」
彼は笑って言った。
「できる限り」
彼女は笑って言った。
「ベストを尽くすわ。あなたもね」
私は言った。
「はい、できるだけベストを尽くします」
そして今朝。
私の体は、パソコンを開いた。
そしてまた、私は、いつ終わるともわからない山のような英語の文章を、粛々と翻訳しはじめた。
文章には、永遠の命がある。
プラトンの文章は、5000年後の今日も、まだ生き続けている。