化けるリソース

リソースの話のとき、私は、いつも、まだ小学一年生だった2つ年下の妹のことを思い出します。


ある日の夕方、帰ってきた彼女は、母に向かって言いました。

「お母さん、あのね!」

妹は、すごく嬉しそうな顔をしていました。


私は、台所で何かしている母のそばで、テーブルに座り、宿題を「させられていました」。


妹は続けました。

「今日、全校朝礼でね!表彰されたの!」


私は、そんなものは見ていない、と思いました。

妹と私は同じ学校に通っており、私もその朝礼にはいました。

しかし、口を開けば「黙って宿題をしなさい!」と怒られるのがわかっていたので、私は、宿題をしているふりをしながら、妹の話を聞いていました。


「すごいねって表彰されたの!」


母は、「あら、まあ、よかったわねえ」と言いました。


妹は、「うん!そういうお友達が私にはいるの!」


母は、少し、かくん、となっていました。


私は笑いました。

そして、「集中して、宿題をしなさい!」と怒られました。




さて。

リソース。


この話の中、妹のリソースは何でしょう?


リソースの話には、妹がしたような話が時折含まれています。


だから、簡単なようで、時に、リソースは難しい。


リソースは、その人が好むか、価値を認めている、その人の人生の中にあるもので、すでに手に入っているものです。


妹は、「友達が持っているもの」として、「すごい」と「表彰状」をはっきり認識していますが、大人はそうではない場合が、ちょいちょいあります。


リソースに見えたものが、実は「欲しいもの」だったり、「欲しいと願い手に入らないもの」であることもあります。


前者のPROモデルでの区分はアウトカム、後者はプロブレム(問題)です。



また、「お友達」は妹のリソースです。

つまり、すごい、と、表彰状という2つのリソースを持つ友達のことを、妹は、自分のリソースとして、語りました。


この「お友達」には目がいかない場合も、大人には、ちょいちょいあります。


それが、話が進む中で現れ、おや、自分のリソースじゃなかったかとなることもあります。

そうなると話は、また、変わります。


リソースは化けるのが上手。

メタファーは嘘をつきません。

けれど、まだ、概念の状態で語られるリソースは、本当にはリソースではない場合が、多々あります。


しかしながら、ファシリテーターは、そこに気付いても、それを指摘はしません。

気づくのは、クライアントの仕事です。


しかし、ファシリテーターは、クライアントをサポートする。


さあ、どうする?



という話でした。