「知覚者」についての翻訳練習シリーズ (5)

「知覚者」についての翻訳練習シリーズ (5)

Metaphor in Mind(James Lawley &Penny Tompkins)より抜粋

*英語原文は、本を購入してご確認ください。


複数の知覚者  P.127

Chapter 6   Stage 2: Developing Symbolic Perceptionsより


通常、クライアントは、ひとつ以上の知覚者を持っています。


それぞれの知覚者は、さまざまな形の中に宿り、さまざまな場所から知覚し、さまざまな知覚手段を持っています。以下のようなクライアントの言葉から、複数の知覚者の存在が推測されることがよくあります。


私の一部は~したい、でも、他の一部は~したい。


今日は、自分が自分じゃないみたいです。


(私は)自分を取り戻す必要があります。


自分に~って言ったんです。


(私は)自分の気持ちとの折り合いがつかない。


(私は)相手の立場に立って、物事を見てみました。


自分にとってよくないってわかっていることを、どうしてやってしまうんだろう?


(私は)怒りで我を忘れそうです。




複数の知覚者がいることは、非言語的な行動から示唆されることもあります。

クライアントは、知覚者の体の姿勢や表情を演じながら、同時に、全く別の立ち位置から、その情景を描写することがあります。「男の子が殴られそうになっている」と言いながら、あたかも今それが起きているかのように、自分の身をかがめるのです。


クライアントの身体は、男の子の視点でその出来事を演じています。けれど、語っている内容は観察者の視点からのもので、「男の子」に起きていることについてです。


このように複数の知覚者が登場するとき、通常は、探究するに値する重要なシンボルの関係性が示唆されています。


複数の知覚者や場所を採用するのは、人間の心が持つ自然で創造的な能力であり、それ自体は機能不全ではありません。


重要なのは、「その人が複数の知覚点を持っているかどうか?」ではなく、「いつ知覚するか、どこから知覚するか、どれくらいの時間知覚するかについて、選択肢をいくつ持っているか?」です。


そこに、いくつ知覚者が存在するか、どんな形をしているか、知覚者がどの位置にあるか、そして、知覚者がどんな知覚手段を採用しているかに関わらず、そこには、クライアントの生き方と一致するものがあります。