なんなんでしょう、これ、の話。

なんなんでしょう、これ?

こういう話は、クライアントさんからは、ちょいちょいお伺いするんですね。セッションの感想として。

いわく「ずっとできなかったことが、すごく簡単にできてしまった」的な話。

私は、「ああ、そうですか。よかったですねえ」くらいにお返事して、「まあ、そういうこともあるかもね」という感じでサラッと流すことが多いのです。


セッションの効果に、これがあります、と限定するのが、クリーンランゲージは非常に難しいので、「こういうことがあった」という事実はストックできますが、「こういうことが起きます」とは言いにくいので、他の方に使える体験談ということにもなりにくいからですね。

理由は、まあ、はっきりしていて、全てのセッションは、「その人の願うこと」をもとに動き、「その人が持っている好きな要素」を使って、「その人の心と体」を「その人の世界」に結びつけてワークに取り組むからです。


要するに、「何が起きるかわかんないんです」という状態なので、「何が起きるかお約束はできません」なのです。もう、ぶっちゃけ。

だって、多くの場合、クライアントさんは、まずですね、「自分の望みを知らない」からです。


頭が知っている望みは、体が知っている望みと一致しないことも実際多く、何かを望むその何かを自分自身の中で調整してもらうことから話が始まることだった多々あるからです。


ほら、よく、「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」という喩えがありますよね。


頭は、「アクセルを踏みたい」(頭の望み)

心は、「ブレーキを踏みたい」(心の望み)


この2つの望みがある人の中に同時に存在するとして、そうしたら、人生は一つしかありませんので、まあ、そうですよね。
「それで、どうします?」というところから、話は始まるわけです。

さらに、「ブレーキを踏みたい心」の存在には気づいていない場合だって、いくらでもあります。深い深いところに、そういうのはあります。


というわけで、私が自分の抱いていた、「あのね、あなたが死ぬのを知りたくないの。だから、クリーンランゲージをもうやめようかなって思ってるの」という、「お前はアホか!」という本気の望みに気づき、「長生きしてください!」とご本人さん達に伝えたら、だいぶん気がすんだらしいその後。


私自身に起きました。

クライアントさん達が報告してくれるような事態が。


そして、思いました。

なんなんでしょう、これ?


この「なんなんでしょう、これ?」は、私の翻訳作業に起きました。

あくまでも、自分自身の統計上ですが、私の翻訳スピードが、異常に速くなったのです。
どうしたことか?

普段だったら、一週間くらいかかる量が、なんでしょうか、一日で翻訳できちゃった。


速い!何、これ?
何が起きた?


さらに、自分の翻訳の文体が少し変化しました。
そこに、私の理解をどんどん突っ込み始めていることに気づきました。
つまり、「ここは私が追記してますよ」とか「ここは意訳してますよ」とかわかるようにして、加筆する量がものすごく増えてきていることに気づきました。

ともかくね、「日本語ユーザーが、日本語として、理解できるように」、同時に、「そもそもの話をした人の言葉の意図をそのまま伝えられるように」と、もう、それだけ。

ずっと、それだけのはずでしたけども、きっと、それだけじゃなかったんでしょう。
自分の中で動いているものが。


きっと、必死で、「時間が経たないようにするにはどうしたらいいか」、きっと必死で、私の体は考えていたのだろうと思います。


私の体は知っていますから。

大事な人の死で、私が過去、何をしでかそうとしたかを。


・・・ゆっくり翻訳してもね、あんた、時間は経つからさ。


と言う、当たり前のこの世の物理法則とは、心や体は違う法則で動いていたりしますので。


とりあえず、なんなの、これは?という事態になったのでした。


「あのね、あなたが死んだって知りたくないの」

私の中にあったこの望み、大事にしてみたところ、私の英語の翻訳速度が当社比3倍くらいにスピードアップした、と言うお話しでした。


どういう仕組み?