血脈の未来が教えてくれたこと

お正月、法事、と身内が集まることが続き、親戚の子供達に会った中で、子供達の特徴のことを、両親や妹が「Yとよく似てる」と何度か言うのを聞きました。
面白かったのは、それらは、私だけが持つ特徴でなく、多くは父と被りましたが、彼らの口からは、必ず、私の名前が出たことでした。
私にしておくと言いやすかったのでしょう。
父の子供時代を見たものはいないからです。

私だけは、昨年、祖母の家を片付けにいった時に、その家に残っていた父の小学一年生から高校三年生の通知表の通信欄を読んだので、父少年の姿の一部を知ります。
そこにいた父少年は、授業中、机にじっとできず、「もう少し机と仲良くできたらいいのにねえ」とか「授業中、おしゃべりしないでお勉強しましょうね」とか「忘れ物をしない工夫を考えましょうね」とか、私の通知表の通信欄と大差ないことが書かれていました。

彼が問題児だったことは明らかでした。
先生によって、その問題の扱いが異なり、けちょんけちょんに書かれている年もありました。

通信欄からはコミュニケーションに問題があったことも読みとれ、飽きっぽい多動性の発達障害だと今なら区分されるだろう子供だった父少年は、大人になった後、誰でも知っている世界的な電機メーカーのエンジニアとして、75才までひとつの会社で仕事を続けることとなります。
何万人もの人達の中にあったコミュニケーションは複雑だったに違いありません。
ちなみに、東大卒がゴロゴロしている彼の会社ですが、彼の学歴は高卒です。
不利な状態で、彼の社会人人生はスタートしています。
子供の頃、父が休みの日に仕事のために勉強している姿をよく見ました。

大人が勉強するのは不思議だと思いましたが、まあ、今の私と同じですね(笑)


ともあれ、遺伝子は、よいものを残そうとするでしょうから、私に似ているらしいそれらは、私が持つ遺伝的な長所だろうと判断しました。

それらは、たしかに、今、別の名前で存在する私のリソースですが、かつて、「そのまま」だった頃、問題として働いたこともあります。
長きに渡り、短所として扱われたものもあります。
私自身から、また、周囲から。
リソースとしての扱いを覚えるのに、数十年かかったものもあります。


私には子供はいませんが、私の一部、長所のたまご達は、未来へ繋がっていく模様。
うまくリソースとして活用されることを祈るばかり。

短所に見えるもの中に、きっと輝くリソースは潜んでいるから。


面白かったのは、かつて、私が子供だった頃、そこを叱った両親が、今、彼らの親達がそこで悩んでいたり、子供達がそのようにするのを、笑いながら余裕しゃくしゃくで、愛おしそうにサポートしようとしたことでした。

大丈夫、大丈夫と。


私が、彼らの孫に生まれていたら、きっと私は、彼らのことを、大好きだっただろうと思いました。
私を育てた後の彼らの孫として、私が存在したなら。
姪っ子が今、彼らを大好きなように。
明らかに私への対応と、彼らの今の対応は異なります。

私が、「そのまま」の子供だったことが、少しばかり未来に活かされているようで、ああ、よかったな、しんどかったけどさ、と思いました。
そして、自分の中の子供が、にやりと笑ったような気分になりました。


それぞれの立ち位置がどこかということで、人間関係はまるで違うことになるなあとしみじみしました。


そして、私が思うのは、人と同じ育ち方をしないということは、育つ過程では問題なのかもしれないけれど、子供自身もしんどいけれど、人生で考えた時は、それは必ずしも障害ではないということです。

ちなみに、私の夫も、口の悪い友人達が、彼はコミュニケーション障害でしょと言うような独特のコミュニケーションをする人ですが、彼も、コミュニケーションが全てのような仕事をゼネコンでしています。
謎ではあります。


同じようにすることを求められる集団教育の中では、同じようにできないことは、問題として発露しますが、社会に出た後、同じようにすることを求められた記憶は私にもありません。

会社で働いていた時も、いかに、人と違うことをするかだけを求められたような気がします。

大人になれば場所が選べます。
そして、大人になった瞬間、人とは違うということが、いきなり長所として扱われます。

何がなんでも、そこまで辿りつくこと、大人になるまで生き抜くこと。

集団の中では扱いにくい特徴を持つ発達の仕方をする脳を持つ子供ががんばるべきは、大人になるまで生き抜くこと、ただ、それだけのような気がしているのでした。


その道中、親も子も、どれだけしんどいかは、私はよく知っています。
親自身は、一般的な発達の仕方をする脳だった時、よりしんどいことも知っています。
私の母はそうです。

普通の子が理解できることが理解できない子供を抱え、工夫をたくさん必要とし、よかれと思っても子供が反発する。
親は相当のストレスだと思います。
それができるのは、そのしんどさを共有できるのは、それが親子だからだろうと思うのでした。
いわば、戦友のようなものなのでしょう。


そしてまた、私のような叔母のポジションを与えられた人にできることは、彼ら子供の息抜きや、逃げ場でいること、自分がそうだったことを隠さないことのような気がしたのでした。