怖いもの

20代の一時期、やたら宗教の勧誘にあった。

そんな時期のある日、知人にファミレスで会うことになり、行ってみたら宗教の勧誘だったことがある。
最初は二対一だったが、三時間後、八対一になり、らちがあかないので、論破してから家に帰った。

妙な理屈だと思ったからだ。

彼らが、その宗教を信仰すれば、幸せになれると言うので、私は、私、もう幸せなんですけどと言った。
私、生きてるだけで充分なんで、死ななかったのが奇跡だし、と。

それは本当だった。

当時、私は、起きて死にたくなければすごく幸せだったので、ほとんど毎日幸せだった。
底を見た後は、なんでも感謝できた。


彼らは、いろいろと事例を出して説明してくれたが、どれも、その宗教を信じなくても起きそうなことで、神さまは関係ない気がしたし、矛盾をはらんでいるように思われたので、一つ一つ、それはこうで、それはああで、と理屈をこねた。

そして、私は言った。

説得力がないですよ。
あなた方がもっとキラキラ幸せそうに見えたら、私も話を聞こうと言う気になったかもしれない。

だけれども、ごめんなさい、とてもそうは見えない。
私の方が幸せそうだし、私の方が人にも感謝してる気がする。
私は、感謝するのには、神さまの力を借りる必要がありません。
自分でできます。
本当にいろんな人に助けてもらったし、感謝しない方が難しいです。

もしも、本当にその宗教を広めたいなら、もっと幸せそうにしてないと。
それに、幸せな人は、人に考え方を無理強いはしないと思いますよ。
どういう考え方をしてるの?何を信じてるの?どうしてそんなに幸せそうなの?って聞かれるくらいにならないと、勧誘はうまくいかないんじゃないですかね? 

あと、服装も、もうちょっとどうにかした方がいいですよ。
高いものじゃなくても、きれいな清潔感は大事だと思います、とだんだん内容は、より成功率の高い勧誘方法を提案するよくわからないことになっていった。


三時間後、私を取り囲んでいた八人は、大きくため息をつき、私を解放した。
それで、私はリーフレットだけもらって帰った。
分厚いリーフレットは面白そうだったからだ。
知らないことは面白い。

実家に帰って、リーフレットを見せながら、それを話すと、両親にえらく怒られた。

刺激して刺されでもしたらどうするんだ、と。
ふんふんと適当に聞き流しておけばよいものを。
相手は、善意なんだ。
善意の相手ほど怖いものはないということくらいわからないのか。


そして、両親は、娘ではなく、娘を勧誘した人々に同情した。
気の毒に、誘う相手を間違えて、、、と。


どういうこと?と私は思った。

かわいそうなのは、私でしょうよ。
八人にも囲まれて、と言ったら、父は言った。

いいや、お前は、水を得た魚のように、その状況を楽しんできたに違いない。
おちょくっている姿が目に見えるようだ。


どういうこと?と、私は思った。
そして、私、ちゃんと、成功率が高い勧誘方法もアドバイスしてみたんだけど、と言った。

父は言った。

お前はアホか。

そして続けて言った。

お前にも、何か怖いものがあるといいんやけどな。
お前は、恐れを知らなさすぎる。
何か信仰を持つくらいで、お前はちょうどいい。
何か宗教でも探せ。

自分は無神論者の父は、私に、何か神を信仰しろと、矛盾したことを勧めた。

自分はいないと思っているものを、娘には探せとはどういうことか?と思った。


あれから十数年。

怖いもの知らずは、まもなく歯医者を恐れる44歳になる。