どれくらい先の未来まで
一体、体はどれくらい先の未来まで知っているのだろうか?
クリーンランゲージに関わりだした後、自身やクライアントに起きたことを目の当たりにして考え始めた。
おそらく三年先くらいまでは知っているだろうと、これは、別のことから予測した。
非現実的な概念である別のこと。
昨日、雪の中を歩き、寝て起きたら、ああ、私は、昨日のことをずっとメタファーで話していたのだなと気がついた。
澄んだ空気に降ってくる何かに、自分と関係ない奇跡。
それを待つしかない、と。
昨年後半から今年頭にかけて、何度か口にしたこと。
なんの事を言っているのか、自分ではわからなかった。
自分と関係ない奇跡は、おそらく母に起きたのだろう。
母は、別人のようになり始めた。
ただひたすら優しい。
私は変わっていないから、変わったのは母だ。
クリーンランゲージのセッションで起きることは、自分の知っている情報を取る作業のような感じがしている。
起こりうる問題も含めて知っている可能性、それを発展させたり、より豊かにしたりしながら、未来を選択する作業。
未来に使えるリソースを育てながら。
それにしても、澄んだ空気に降ってくる何か、が、雪の日のことだとはわからなかった。
大阪に雪は、ほとんど降らない。
全く降らない年だってたくさんある。
体は、未来の天候まで、知っているものなのか?