読書事情

ふと、どんな話やったかいなと、タイトルだけを思い出した。

ゴドーを待ちながら。

サミュエル・ベケット著。

学生時代に習った記憶がある。
なんてちんたらした話という、当時抱いた感想は覚えていたが、細かく記憶していなかった。

Wikipediaを調べて、それが、ベケットの第二言語で書かれた作品だということを知る。
ベケットは、なぜ、母国語で書かなかったのだろう?

そっちが気になって仕方なかった。


話は飛ぶが、最近、読む本が、以前の好みに戻り始めた。

もともと、私は、文学や漫画を好み、役立つ本よりは、息抜きのエンターテイメントとしての読書を楽しんできたが、ここ数年、少し遠ざかっていた。
読む本が仕事がらみの本に傾いていた。

理解することに重きをおく読書は、それはそれで意味があるが、私の読書を少しだけつまらなくしたことはまた事実。

知識を増やすことはまた喜びでもあったけれど。

少し、肩の力を抜こうかなという気分に、今年になってからなり、他人が期待するペースではなく、自分のペースで物事を進めたいと考える気持ちが強くなった。


そうして、私の世界に文学や漫画が戻り始めた。

すごい勢いで。
以前と変わったのは、その半分が電子書籍だということだった。


ともかく、再び、文学や漫画の世界に戻り、そうすると、起きたことは、インターネットを見る時間が減ったことだった。

次に起きたことは、心が静かな時間が、格段に増えたことだった。


そして、さらに起きたのは、日記が完璧に日記になり始めたことだった。

今日みたいに。

読む人が面白いかどうか、以前はちょっとは気にしていたが、どう解釈されようと構わないという気分になった。

ここは、私の世界観の世界だと。

仕事は、クライアントの世界観の中でする。
書く時は、私だけの世界観を書く。


そして、自分の世界観を貫け、と、過去、実にたくさんの人がアドバイスしてくれたことを可能にするに必要だったことが、実用書を読む数を減らすこと、つまり、勉強する時間を減らすことで可能になりそうになっていることが面白かった。


どちらも、文字を読んでいるのに。

私は、文学や漫画は、読むのがものすごく早いけれど、読んでも、ああ面白かった!で終わり、内容をちゃんと記憶できない。

実用書を読む時は、すごく時間はかかるけれど、言葉は覚えているので、脳の使う部分が違うのかもしれない。


そして、ゴドーを待ちながら、に行き当たる。

なぜ、彼は第二言語で書いたのだろう?