めんどくさいという臭い
夫は無臭の世界で生きている。
本人いわく、生まれつきということだったが、夫の母はあっさり違うわよとそれを否定した。
違うわよ。
3才の時までは匂っていたのよ。
ちゃんと臭いとかいい匂いとか言ってたもの。
スイミングに通って、鼻を悪くして、耳鼻科に通って、そこでした治療の結果、臭わなくなっちゃったのよ。
ともかく現在は無臭の世界でいきている。
きつい臭いがツンとする感じはあるらしい。
その夫が言った。
でも、僕にもわかる臭いがひとつある。
めんどくさいだ。
めんどくさいは、僕にもわかる。
ああ、めんどくさいのくさいは臭いなのか、臭いなのかと私は思った。
めんどくさい。
この臭いは、さまざまな原因で生まれる。
そして、本人にしか臭わない。
また、どういうことから、その臭いを感じるかは人それぞれである。
極端な話、誰かにとってめんどくさいことは、誰かにとっては好きなことの場合もある。
例えば、私は掃除機をかけるのはめんどくさい。
世に自動掃除機が登場したところを見ると、同じような人はたくさんいるのだろう。
しかし、夫には、掃除機をかけることはめんどくさくない。
掃除機をかける=めんどくさいという図式は、あてはまる人と当てはまらない人がいる。
また、めんどくさいは必ずしも悪いものでもない。
それは創造性を刺激し、新しい何かが生まれることもある。
掃除機は、ほうきではくのがめんどくさい誰かがいなければ生まれなかっただろうし、自動掃除機は、掃除機をかけるのがめんどくさい誰かがいなければ生まれなかっただろうし。
めんどくさいは、創造性とセットになると、めんどくさくない何かを生む。
また、感謝も生む。
掃除機をかける夫に、素晴らしい!と感謝するように。
そして、工夫も生む。
いかにめんどくさくないようにするか工夫すること。
これもまた創造性を使う分野。
めんどくさいは、人の創造性とつながっていると感じている。
誰かのめんどくさいは、便利な世の中を作ることに貢献していると。
時にその臭いも必要だなと。
個人の人生にその臭いが登場するとき、その臭いは、改善の余地を知らせる臭いと感じている。
臭いの原因は何か、探ることは、割と豊かな作業だと。
何がめんどくさいかではなく、どのようなことをめんどくさいと感じるのか、その要素を知ることで、めんどくさいは一気に減る。
注意が必要なのは、めんどくさいの裏には、時々、やりたくないが隠れていること。
やりたくないと、めんどくさい、はまた別のはなし。