歴史が生まれると次に何が起きる?

今年は年明けから、空いている時間、歴史探訪をしています。
本やドキュメンタリーで。
もともと歴史は好きなのですが、なぜだか、今年はお正月からその熱が再燃しています。

人類そのもの、地球そのもの、世界史とその時間の幅は様々。

立ち位置を変えて見る歴史は、様々に視点が異なり興味深々。
また、そこには、物語があるだけで、正確な歴史は存在しないということにも。

たしかに、歴史はくるくると変わります。
新しい「発見」によって。

発見、という言葉もまた、面白いなあといつも思います。
新しく見つかった事実や証拠は、見つかった時に生まれたわけではなく、ずっとそこにあって、ただその時、目に留まることができただけだけれども、新しく発見されるのです。

何にも新しくない、むしろ古いのだけど、新しく発見されるのです。
そして、その発見によって、歴史は塗り替えられるのです。
何度でも。


個人の歴史も、そのような感じだわねと思います。

新しく発見される過去というものが、また、個人についても沢山あるねえ、という気分に、今年の私はよくなります。

新しく発見される過去により、今が変わることも、歴史と同じです。


歴史は、その出来事があってからしばらくの時が流れなければ歴史として検証できないように、また、個人の過去も、長い時間ののちにようやく見ることができる姿というものもあるのかもしれません。


そしてそこには、もう、ものがたりしかないということも同じなのかもしれません。

ひとつのものがたりとして、過去、書かなかった自分のこれまでの人生が、自分の中で動き始めた感じがしているのでした。


なぜ、書かなかったか?


このブログを読んでこられた方なら、その理由はよくご存知です。

私は、日記に、考えていること、感じたこと、頭の中、気持ち、そういったことを書き続けてきたからです。

だから、書いた出来事はとても少ないです。

ブログから、私の日常を読み解くことは不可能です。
私自身、小学生時代の日記を読んでも、その子が毎日何をしていたのか、知ることはできません。
書かれた内容は、創作や思ったことが主をしめています。

今日はこんなことを考えました、から始まる日が非常に多いのです。

今と一緒。
ずうっと、考え続けてきたのです。



書かなかったそれらが、ものがたりとして、自分の中を蠢き始めた、その胎動を、数々の歴史を読んだり見たりしている間に、感じ始めたのでした。

そこには、たったひとつの、ものがたりがある、と。

誰の人生にも存在するように。

たったひとつの、どんなものがたりより、自分にとっては価値のあるものがたりが、静かにとくんとくんと、音を立て始めたのを感じるのでした。

歴史。

歴史が生まれると、次に何が起きる?