自由に書いていい。

数年前までしていたある匿名系のSNSで、私は母をネタにしまくった。
母の話は、よくうけたからだ。

私が書いたのは、両親や母のむちゃくちゃさだったが、私の書く母には、ファンすらいた。
母に会ってみたい、子育て相談をしたいと言った人すらいた。

母の子育て法は、スパルタトレーニングだったにもかかわらず。


ある日、私は母にそれを伝えた。

母は言った。

お父さんとお母さんのことは好きなように書いていい。
いくらでも書いていい。
ただし、あなたの妹と姪っ子は、ネタにはしてはいけない。


今日、それを思い出した。


父と母が死んでから書こうと思ってきた話がたくさんある。
両親や親戚は、みな、癖が強い。気も強い。
直感も私より強い。

私は身内に突然変異と言われているけれど、私から見れば、両親や親戚の方が個性は強い。
人生も面白い。


そして、父も母もしばらく死にそうにない。


母は言った。
好きに書いていい。



30才になった後、今日は、身寄りのいない場所で、たったひとりで子供を産んだある女性に感謝する日になった。
その人の勇気と覚悟と強さがなければ、私はこの世に誕生しなかった。

父は出張でいなかったから、私が父にあったのは次の日だと聞いている。
そして、その日、母は大量の虫が壁に這う幻覚を見たと言っていた。

私のせいで、お母さんはそうなったと、長く私は自分を責めた。
私が生まれなければ、お母さんはおかしくならなかったと。



数年前から、生んでくれてありがとうと、母にメールするようになった。
生まれてきてよかったと、心から思えるようになったからだ。


そして、今日、思い出した。

なんの罪悪感も持たずに、書いていい。
ネタにしまくって構わない。

自由に書いていい。

あれほど、世間体を気にする人が、自由に書いていいと言ったこと。


今日は、私が生まれた日。

どんな喜びも悲しみも、苦しみも楽しさも、光も闇も、生まれてこなければ味わうことはできなかった。

感謝とともに、決めたこと。

私が生まれた意味を、これから作る。
私が見たものを書こう、もう待たない、と。