望みのサイズ

望み、願い。

これがしたい。
これが欲しい。
こうなるといい。
こういうことが起きるといい。


その「これ」を考える時、その「これ」の大きさやサイズ、程度をイメージすることは重要です。
重要だということを実感しました。

言い始めてからもう数年経つ、長らく私がしばしば口にしていた望みがあったのですが、どうやるのかな?と私には方法がわかりませんでした。
最近、その望みのサイズがはっきりした瞬間から、私自身と周囲の流れが変わりました。
同時に、方法と使うリソースがわかりました。


これには少々驚きました。
同時に、クリーンランゲージの質問、デイビッド・グローブが遺したものは、いい意味で、とんでもない!と改めて思いました。


わかりやすいのでお金の話を例に使います。

例えば、億万長者になりたい!と夢見る人はたくさんいます。
宝くじの売れ行きからも、それは明らかです。
運というリソースを使って、億万長者になろうという人が、たくさん。

億万長者は、一般的には、億単位のお金を持つ人をさしますが、億は1億から9999億9999万9999まで幅があります。

1億円が欲しい場合と、9999億円が欲しい場合では、そこに必要になることが異なることは、容易に想像できるかと思います。


これは、幸せになりたい、楽になりたい、悟りたい、というような、薄ぼんやりとした抽象的な願いの場合ですら同じです。

必要となることは変わります。
しなければならない行動も変わります。

程度によっては、ただ気づくだけですむ場合もあるでしょうし、感じ方が変わるだけですむ場合もあるでしょう。
幸せは、感じる力を必要としますので、幸せを感じる力を育てればすむ場合もあるかと思います。


そういう場合は非常に多いです。
日本という、冷暖房完備、トイレの普及率は100%、蛇口をひねれば水が出る、道を歩く時に気をつけるのは車で銃や爆弾ではない、働けないのではなく働かないで生きていける大人もたくさんいる、平等に最低限の医療が受けられるシステムを国が持つ、生まれながらのホームレスはいない、ここはいったいどういう場所ですか?という奇跡のような国に住むならなおさらです。


しかし、ただ、気づくだけ、感じ方が変わるだけ、自分が成長するだけではすまない場合も同じようにたくさんあります。


行動や現実が伴うことが必要なケースです。


ここについては、時代の違いから、過去の素晴らしい知恵者たちは、書き残してくれてはいません。
彼らが生きた時代は、誰もが満たせるものは心の中だけ、自由にできるのは心の中だけという時代です。


また、もしも彼らが今にいたとしても、彼らはそこについては語らないのではないかと思います。
誰にも万能にあてはまるものがありません。


望みのサイズは、一人一人、違うからです。
自分で考えるしかないことだからです。

自分に尋ねてみるしかないのです。


その望みに、大きさや形はありますか?