苦痛という幸福

最近、失ったもの。
静かな朝。
軽やかな朝。

だいたい、うっ!と呻くことから、私の朝は始まります。
猫3匹、うさぎ1匹のうち、誰かが、私のみぞおちを踏みつけていくからです。
ジャンプの踏み台に、的確にみぞおちを狙う、これいかに。

朝寝坊もできなくなりました。
猫とうさぎが走り回るのがうるさいからです。
運良く走り回らなくても、7時過ぎれば誰かがまとわりつき始めます。
下手すると、うさぎが親指を噛みます。

夜も、手足を伸び伸びと伸ばして眠れなくなりました。
足元に猫2匹、お腹の上か下手すると首の上に猫1匹が寝ているからです。


失った快適さと加わった苦痛。

でも。
それらは、私を温かな気持ちにします。

苦痛=不幸せ、ということでもないようです。
起きているのは、苦痛→幸福感。

非常に迷惑、でも、幸せ。


もしも夫が同じことをしたら、激怒していると思います。

この場合、苦痛→怒り、という流れ。
温かい気持ちには決してならないことでしょう。

迷惑→そのまま迷惑。


この両者に、私は愛を持っておりますが、反応は異なります。
この違いはどこから生まれるか?

見た目か?
見た目はたしかに圧倒的に夫が不利です。

おっさんと子猫、うさぎでは、夫に勝ち目はありません。


愛の深さか?

ノーコメント。
考えるのもやめておきましょう。


世界は主観が全て。

全ての人を猫かうさぎと思うなら、私の世界には幸福しかないのかもしれません。
夫婦喧嘩もなくなることでしょう。


無理ですので、致しません。